最初の1週間でスープなどの仕込みを教えてもらい、順調にラーメン作りを覚えていった。店はすぐに人気店になり、店舗展開に向けてセントラルキッチンの工場長にも任命される。
だが、あまりにもやることが多い。気が付けば960日間無休で働き続けていた佐々木さんは、ついに尿路結石でダウンしてしまう。これがきっかけで、6年弱勤めた店を退職した。
それから間もなくして、当時の親友が経営するラーメン店に呼ばれ、味作りを手伝った。だが、次第に店の経営に多くの人が絡むようになり、うまく立ち回れなくなる。ついには、「味を残して店を抜けてくれないか」とまで言われ、退社を余儀なくされる。
突然の出来事で人間不信になりながらも、今度は知人の紹介で近くのパチンコ店が経営する「地獄ラーメン 天国屋」(町田市)にアルバイトとして入れてもらう。1日に30杯ほどしか出ず、業務用スープを使うラーメン店だったが、次の道を見つけるまでの繋ぎとして働くことにした。
ある日、会社の常務とオーナーから、佐々木さんオリジナルのラーメンを作ってはどうかと提案を受けた。自分のラーメンを作れるならと思った佐々木さんは、「天国屋」の店長という形で再スタートを切る。佐々木さんの独自の味を少しずつメニュー化していくと、口コミが広がり、ラーメンフリークが集まるようになった。
そんななか、11年3月に東日本大震災が起きたことをきっかけに、佐々木さんはラーメンにも「安心」「安全」を取り入れるべきだと決意する。安心・安全な水と食材を使ったラーメンを開発し、14年11月に店名を「超純水採麺 天国屋」と改め、パチンコ店から独立し、こだわり食材を使った無化調の本格的なラーメンにシフトチェンジした。
リニューアルから1年ほど走り続けたある日、また大きな問題が起こる。隣接するパチンコ店がトラブルで半年間の営業停止になってしまったのである。
パチンコ店からの人の流れが全くなくなり、売上は地に落ちてしまう。万事休すかと思われたが、家族連れが次第に増え始めた。パチンコ店がやっていないことで、子どもを安心して連れてくることができるようになったのだ。ひょんなことから、佐々木さんが掲げてきた「子どものためのラーメンを作る」という目標が実現したのである。
食とは子どもが安心して食べられるものでなくてはならない。その気持ちを強くした佐々木さんは、さらにラーメンの改良を進める。その思いが結実し、「天国屋」は16年末に「ラーメンWALKER 武蔵野・多摩版」(KADOKAWA)で総合1位に輝いた。