同じ予備校に進学校の高校生たちも来ていた。このまま美大に進んだら、高校のランクのようなものは帳消しになると気づいた。そしてもうひとつ、大きな気づきが浪人時代にもあった。

「僕は絵は才能だと思い込んでいたんです。ところが、予備校の仲間が、ここはこうしたほうがいい、これを覚えておくといい、と教えてくれて。すると良くなるんです。あれ、と思って。絵がうまいのは、知識によるところが大きいんだ、と」

 一気にデッサンの成績が伸びた。1浪の末、名門・多摩美術大学に合格。だが、入学後にショックを受ける。凝ったファッションに身を包むなど、自己表現にこだわる学生が多かったからだ。水野は、いわゆる美大生っぽいことが苦手だった。あえて、らしくないことをした。ラグビー部に入部。練習で汗を流し、試合でぶつかりあった。予備校講師やカラオケボックス店員のアルバイトで高額の画材代を稼ぎ、国内を貧乏旅行。フランス、イタリアを2カ月弱で縦断したりもした。

「現地に行って、印象派がどうしてあんなに淡い色を使ったのかがわかった。光が違うんです。わからなかったことがわかることが、面白かった」

 卒業後は、大手広告代理店に行けるものだと勝手に思い込んでいた。しかし、就職活動は惨敗。ようやく決まったのは、小さな広告制作プロダクションだった。だが、1年経たずに辞めてしまう。

「時代もあったんだと思いますが、とにかく猛烈に忙しかった」

 見つけた転職先は、デザイン界では有名な会社。ところが、ここも1年足らずで退社。さらに忙しかったからだ。朝まで働いて、それから同僚たちと一緒に飲みにいくこともあった。この生活は続けられない、と思った。25歳で失業。時間があるうちに、とヨーロッパ旅行に出た。帰国後はハローワークに通った。それ以外は、日がな一日、よく書店で過ごした。

「あまりに長く居すぎたので、店員と間違えられたこともありました(笑)」

 ビルの展望台に上がったり、ベンチに座って人を観察したりもした。貯金が底をつくと、消費期限ギリギリのもやしを買ってきては、家で炒めてよく食べた。数円のもやしを毎日買いに来るのを見かねた八百屋から、キャベツをタダでもらったこともあった。

「唯一の支えは、活躍し始めた友人たちの存在でした。あいつらがやれるんだから、自分にもやれるはずだ、と言い聞かせて」

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