■小5のとき交通事故に、学校に戻るとイジメに遭う
キャラクターの「くまモン」の生みの親として広く知られる水野だが、その仕事領域がデザインという言葉にまったく収まらなくなっていることは、まだまだ知られていない。
「広告の仕事で企業に携わることが少なくありませんでしたが、強く感じたのは企業が広告の力だけではなく、クリエイティブの力を欲しがっているのではないか、ということでした」
ここに早くから気づき、2007年から水野とタッグを組んで会社を成長させたのが、中川政七商店だ。1716年創業の麻織物の老舗で、生活雑貨を中心としたオリジナル商品の製造や全国直営店を展開する。水野はロゴやショッピングバッグなどのデザインから出店戦略まで、事業に深く関わった。会長の中川政七(45)は言う。
「ただ美しいデザインをするのではなく、一緒に商売や会社を考えてくれるような人を探していたんです。お会いして最初に、まだ他に候補がいますと正直に言ったんですが、帰るときには、水野さんに決めました、と伝えていました。ちゃんと経営者の言葉が通じる人だったからです」
水野はデザインの世界で新しい領域を切り拓(ひら)いてきた。だが、その軌跡は平坦(へいたん)ではなかった。
父・恵司(79)、母・マリ子(78)の一人息子として東京に生まれ、神奈川県茅ケ崎市で育った。海を眺めるのが大好きだった。後にデザインの道に進むことになるが、子どもの頃は意外にもスポーツ大好き少年。かけっこはいつも1番。だが、時には1番をあえて譲ってあげる子どもだった。
「勝ちとか負けとか、あまり好きじゃなかったんです。それがはっきり自己認識できたのは大学生の頃で、映画『ブルース・リー物語』を観たときです。目的は殺傷や勝ち負けではない、真理の探究である、というセリフにピーンと来て。あ、僕がずっと考えてきたのはこれだったんだ、と」
水野の大人びた考え方に、多大な影響を与えたのが、母のマリ子だ。間違っていることは許すな。私腹を肥やすな。友達を大事にしなさい。人が喜ぶなら自分はどうでもいい。大した存在ではないと知れ……。母の口癖は水野に刷り込まれた。
「曲がったことが嫌いで、痛くても痛いと言うななど、とんでもなく理不尽なことを言い出したりする。ただ、おかげで強くなれた気がします」