「原因は明白。動物系と魚介系を合わせるスープの取り方は、材料費がかかるんです。無化調で作ればなおさらコストがかかり、経営面を考えれば厳しいと思います」
さらに、現在は新店をオープンするとなれば、海外観光客も視野に入れる時代だ。豚骨ラーメンは海外でもブーム化しているが、魚介が受け入れられるには、まだまだ時間がかかりそうだと林さんは見ている。
だからこそ、林さんは欲張らない。目標は「現状維持」だという。
「店主が常に厨房に立っている店が自分の理想です。毎朝3時半に起きて、真剣勝負で味をキープしています。年を取って疲れもたまりやすくなりましたが、とにかくやるしかない! という気持ちでこれからも続けていこうと思っています」(林さん)
そんな林さんの愛する一杯は、名店を渡り歩きながら「はやし」のラーメンに辿り着いた店主が紡ぐ極上の「動物+魚介」のラーメンだった。
■味噌ラーメンの名店で食べた「醤油」の感動がきっかけ
中野駅の北口を出て、中野通りを10分ほど歩くと「麺屋 はし本」という店がある。17年2月オープンと比較的新しい店ながら、流行とは離れた動物+魚介のラーメンを提供している。数々の名店を渡り歩いた店主・橋本健太朗さん(44)が辿り着いた究極の一杯だ。
橋本さんは静岡県出身。18歳の頃から自動販売機を設置する仕事に就き、各地を回っていた。ある日、仕事で訪れた伊豆の「吉田家」で食べたラーメンに衝撃を受けた。横浜家系ラーメンの店で、口の中に爆発的な美味しさが広がったという。
「吉田家」をきっかけにラーメンに興味を持ったが、当時の静岡のラーメン店はチェーン店がほとんど。食べ歩くにはなかなか厳しいエリアだった。
あるとき、新横浜ラーメン博物館(ラー博)に出店していた札幌ラーメンの名店「すみれ」に足を運んだ。味噌ラーメンで有名な店だが、それを知らなかった橋本さんは醤油を食べてしまったという。それでもその味に感動し、この店で働きたいと思った。
こうして橋本さんは21歳で「すみれ」ラー博店で働き始める。当初は炒め場の補助をしたり、チャーシューを切ったりと雑用が主な仕事で、半年してようやく醤油ラーメンを作らせてもらえた。
1年後には看板メニューの味噌ラーメンを作らせてもらえるようになったが、全く上手くいかなかった。味噌とスープを中華鍋で焼く「すみれ」の製法は、焼きすぎても焼きが足りなくてもてもNGだ。マニュアルにはない、感覚で身につけていく部分が多く、苦労したという。
上手く作れない日々が続くが、当時はラーメンブームが過熱し、ラー博は店の外に行列ができるほどの人気だった。混んでいる時は中華鍋で7人前のスープを一気に作り、アイドルタイムは1人前ずつ作る。7人前と1人前で同じ作り方をしていては仕上がりが全く変わってしまう。困惑の毎日だった。
「ある日、『すみれ』の村中社長のラーメンをいただく機会があったんです。衝撃でした。コクがあって、自分の作る味とは全然違った。中華鍋とオタマの技術でこれほどまでに味が変わるんだなと驚くと同時に、自分の未熟さを感じました。一杯のラーメンを作るのって本当に大変なんだなと痛感しました」(橋本さん)