「すみれ」で修行しながら、休みの日にはラーメンを食べ歩いた。数々のお店を訪れる中で、恵比寿の東口で大行列を作っているお店のファンになった。旭川の塩ラーメンの有名店「山頭火」である。
味噌の後は塩も作ってみたいと思った橋本さんは、2年勤めた「すみれ」を卒業し、「山頭火」に移った。23歳の時だった。
「山頭火」は4日間毎日取ったスープをブレンドする製法で、「すみれ」とは全く違う作り方だった。当時は人気店ランキングにもよく顔を出しており、連日行列が絶えず、ここでも忙しい毎日が続いた。
■化学調味料をやめた理由
そして、休日の食べ歩きでまたも衝撃の一杯に出会う。中野の「中華そば 青葉」である。
動物系と魚介系を合わせたWスープが自慢のお店で、当時はカウンター7席のみ、午後3時までの営業だった。行列に並んで食べた「青葉」のラーメンが忘れられず、4年で「山頭火」を卒業。北千住のマルイ内にオープンする「青葉」のオープニングスタッフとして働くことになる。27歳の時だった。
「青葉」のメニューはラーメンとつけ麺のみで、トッピングもシンプルだ。「青葉」で働きながら、毎日賄いのラーメンを食べていて気づいたことがあった。
「毎日食べていても全く飽きがこなくて、いつ食べても美味しい。まさに理想の一杯でした」(橋本さん)
このころ、橋本さんは渋谷の「はやし」にも出会う。通っている間に味の虜になり、1日に2回食べる日もあった。橋本さんは修行を始めて8年目で、自分の好きなラーメンが「青葉」や「はやし」のような動物+魚介のラーメンだったということに気づく。
独立に向けて目指すラーメンは決まった。しかしその前に学んでおきたい場所があった。「東池袋大勝軒」だ。
当時の「東池袋大勝軒」は初代・山岸一雄さんの引退とともに旧店舗が閉店、1年のブランクの後、移転オープンしたところだった。2代目の飯野敏彦さんのもとで修行をしたが、山岸さんからもラーメンの“心”の部分を教えてもらい、今も橋本さんの糧になっているという。
「麺、具材、スープはもちろん、ラーメンに対する考え方まですべてを学べる場でした。スープも麺もすべて手作りのところが魅力ですし、『食べる人の喜ぶ顔を大事にする』という一番大切な部分を教えていただきました」(橋本さん)
11年には「シンガポール大勝軒」の店長として赴任。つけ麺文化のないシンガポールでゼロからの普及に携わった。その後も「京都大勝軒」やシンガポールの複合施設で数々のチャレンジをし、16年9月に帰国して独立の準備を始めた。