取材をするときもされるときも、少々暑くてもユニホームのように、GUで買ったというジャケットを着る
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■当事者との共感を大事に 不登校新聞の紙面刷新

 説明を聞いていると不登校当事者の心の内がよくわかる。「当事者の通訳のようだ」と言うと、

「まさにそうです。当事者の気持ちを親などにわかりやすく伝えるのが私たちの役目です」

 そんな重要な役割をもつ不登校新聞が、休刊危機に直面したことがある。12年である。

 創刊間もない頃は6千部あった発行部数は景気後退とともに減少、12年に820部まで落ち込む。採算ラインの1100部を09年から4年連続で下回っていたのだ。理事会では半年以内に部数が採算ラインに戻らなければ休刊と決まった。

「余命半年かと。過去10年増えたことがなかったので、十中八九休刊だと思いました」

 しかし当時同居中で、翌年結婚する三喜子(34)は、「この新聞には意味があるはず。あなたがやっていることに意味がないなんて私は思わない」と言った。その言葉に石井は救われた。“やれることはやろう”と決心する。

 パナソニックから活動助成金をもらっていたので相談に行くと、NPO法人を支援するマーケティング研修会に参加するように勧められた。石井は内心「記事は魂で書くもの。マーケティングで書けるのか」と最初は懐疑的だった。だが主要スタッフ2人と出席し、講師の松本祐一(多摩大学教授)から根本的な質問をされ撃沈した。

「不登校新聞とは何ですか?」

 答えられなかった。日常業務に流され見失っていたのだ。さらに気付かされたことは専門紙としての役割だ。不登校やいじめなどの問題に詳しい新聞社なのだから、情報を限られた部数の新聞だけに留めるのではなく、全国紙やテレビに知らせ、より広く報じてもらう。不登校の現状や当事者たちの心の内を知らせるのが役割の一つだからだ。

 12年夏に大きな問題になった滋賀県大津市の中2男子自殺事件は、その役割を実感する契機になった。この事件の原因がいじめであったことから、石井たちは、持っている情報を多くのメディアに伝えていった。結果、不登校新聞の存在が知られるようになり、不登校やいじめの問題に直面する人に読んでもらえるきっかけとなったのだ。

 地道な作業も展開した。ほとんど手つかずだった元購読者へのアプローチである。連絡がつく元購読者に購読再開の勧誘メールや休刊危機を知らせる号外を送るなどした。

 その結果、研修スタートから5カ月後の9月には採算ラインを突破、休刊危機を見事脱した。

 研修最後の報告会で、石井たちはこれまでの活動を振りかえり、あらためて原点に立ち返ってみえてきたミッションを発表した。

<不登校・ひきこもりの全面肯定を目指す>

「マーケティングという横文字に抵抗を示していましたが、やってみれば、新聞の存在意義や不登校の当事者のナマの声や事例の大切さ、ニュースも大切だけど『あ、この人も私と同じなんだ』という“共感”が大事であることなど、多くのことを考えさせてくれた道具であったと思いました」

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