
エキシビションで『冬のソナタ』の“ヨン様”に扮し、会場を沸かせた選手を覚えている人もいるかもしれない。6歳からフィギュアスケートを始め、国際大会で2位という好成績を残しながら、京都大学大学院を卒業し、食品研究の道へ。異色の経歴を持つサントリーの研究者・神崎範之さん(37)は、今も審判員としてフィギュアスケートと関わり続けている。
人生100年時代と言われ、アスリートだけではなく、あらゆる立場の人たちがセカンドキャリアを考える今。神崎さんは自称「ゲーマー」だった少年時代から、家と勉強(仕事)以外の“第三の場所”に身を置きながら、「自分のポジションを客観的に見て、実現できる道に進む」というしなやかな方向転換を続けてきた。長い人生をより豊かにするヒントがそこにあるのかもしれない。
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――フィギュアスケートを始めたころ、自分の将来をどう描いていたのでしょうか。
学生時代にフィギュアスケートをやっていた両親と、先にレッスンを受けていた兄の影響で、6歳からスケートを始めました。月並みですが、当時は「オリンピックに出たい」と言っていて、同時に「サラリーマンになる!」とも言っていたそうです(笑)。サラリーマンの父の影響ですが、小学校低学年のころには、将来の夢に「会社員」と書いたこともありました。
勉強は好きではなかったんですが、しないといけないものだと思って、それなりにやってきました。勉強とスケートを両方続けていたのは、実はちょっと不純な動機で……。テストの点数やスケートの順位が良かったときに、ご褒美としてゲームを買ってもらうのが一つの目的でしたね。ドラクエやファイナルファンタジーのようなロールプレイングゲームが大好きで、いまでもめちゃくちゃゲーマーです。
――練習と受験勉強を両立していくのは大変だったのでは?
今振り返ると、一番忙しかったのは中学生の頃でした。放課後は週5日で練習、週4日は塾。帰宅は夜10時、11時になりました。どちらもできるだけ集中してこなそうと考えてはいましたが、リンクまで車で送り迎えをしてくれた親の協力なくしては不可能だったと思います。