その発明こそ、武部が長年温めてきた「広告医学」だ。未病の段階で、生活する人々の行動を自然に変えて健康につなげるコミュニケーションを研究している。そのために、デザインやコピーライティングといった、わかりやすく人々に影響を与える広告的視点を医学に取り入れる。18年には、横浜市大に「コミュニケーション・デザイン・センター(YCU-CDC)」を設立した。

 例えばメタボ対策。「ふっくらしたね」「気にしろ」と誰かに注意されると、人は嫌気がさすもの。武部らが開発した「アラート(警告)パンツ」は、パンツ自体がさりげなく「黄色信号」を出す。黒いパンツなのに、太って一定の腹囲を超えると布地が伸びて、下地のショッキングイエロー一色に。自然と健康を気にしたくなるアプローチで、現代の医療課題を解決していく。

 デザイナーら異分野の人とコラボしながら「医療を創る」武部の姿に、木村は思う。もはや研究者という肩書すら要らないのかもしれないと。

「例えば伝道者とかね(笑)。何より自身が先駆者になり、新しい社会のデザインを提案できる」

 今も武部は、興味の向く全方位に「ギュイーン」とギアを上げる。白衣を着ない32歳の「365日全力疾走」は、当分続く。

(文中敬称略)

■武部貴則(たけべ・たかのり)
1986年/12月生まれ。横浜市育ち。三つ上の兄、英輔によれば、「弟は好奇心が旺盛で、目を離すとバーッと飛び出す子だったと親から聞いている」。幼稚園から小学校までバイオリンを習う。
95年/小3の時、父が脳卒中で倒れる。その後、奇跡的に回復。深夜まで働き、病院に行く暇もなかったような父。「兄はロックミュージシャンで、僕は研究者になった。兄弟ともに、『絶対サラリーマンにはならない』という意識だけは共通して持っていた」
99年/桐蔭学園中学に入学。ブラスバンド部に入部し、アルトサックスのパートを担当。高校からはさらにのめり込み、365日練習するぐらいに。「勉強が出来なくなるから」という理由で朝練を欠席する人もいて、「部員に背中を見せられる状況にするため」テストの成績は絶対に落とさないよう努力した。「満員電車でも、体ぐにゃぐにゃになりながら詰め詰めで勉強していた」
2005年/横浜市立大学医学部医学科に入学。2010年、米コロンビア大学移植外科研修生。
11年/横浜市大卒業。同大助手(臓器再生医学)に就任。
13年/英科学誌「ネイチャー」にiPS細胞から「ミニ肝臓」を作る技術を発表。横浜市大准教授に就任。
15年/「ミニ肝臓」のメカニズムを応用し、膵臓、腎臓、腸など他の臓器から分離した細胞を使い3次元的な臓器の芽を作ることにも成功。米シンシナティ小児病院准教授に就任(兼務。17年、同病院オルガノイドセンター副センター長)。
16年/京都大学iPS細胞研究所と武田薬品工業の共同研究プログラムの研究責任者に就任。主席研究員の篠澤忠紘は、武部のスピード感に驚く。「会って早い段階で製薬業界特有の分野にも理解を深め、上りの新幹線2時間ほどで完璧なプレゼン資料を完成させていました」(篠澤)
18年/横浜市大先端医科学研究センター教授(現在、特別教授)。同大コミュニケーション・デザイン・センター長も兼務。東京医科歯科大学統合研究機構創生医学コンソーシアム教授に就任(現在に至る)。
19年/日本学士院学術奨励賞受賞。

■古川雅子
ノンフィクションライター。上智大学文学部卒。専門は医療・介護、がん・認知症・難病と暮らし、科学と社会、コミュニティーなど。本欄では「医師 武藤真祐」「詩人 岩崎航」ほか多数執筆。

※AERA 2019年7月01日号

※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ