「倒れた患者さんだけじゃなく、家族全体がものすごいインパクトを受ける。看病や介護に追われる家族もいる。生活の中断で他の家族もいろんな思いをする。倒れた本人も、中途半端に回復すれば社会から疎外されかねない。幼心(おさなごころ)にも『課題』がものすごく見えた体験ではありました」

 05年、武部は医学部に進学。今なお完治できない病気や原因不明の難病が数多くある現実を知る。

 学部2年の時、視野を広げようと海外留学を検討していた武部は、その下調べとして大学OBで現スタンフォード大学教授の中内啓光(67)に会いに行った。当時東大にいた中内は再生医療研究のトップランナー。学生時代にハーバードのメディカルスクールでトレーニングを積んだ経験もある。中内は基礎研究に身を置きつつも、「常に応用の可能性を考えている」という。

「基礎研究と臨床の間には、大きなギャップがある。その両方がわかっている人こそ、架け橋となって溝を埋めていかないと。我々のように、医学部を出て研究ばっかりしているという人は、そういうところに責任があると思っているんです」

 初対面ながら3時間近く話し込んだ武部は「私の研究室では、10年ぐらいの間に患者に届くことを見越して研究を進めている」という中内の言葉に、「患者に届く医療」の手触りを感じた。この時の縁で、中内の弟子で横浜市立大学「臓器再生医学研究室」を主宰する教授の谷口英樹(55)を紹介され、谷口研に通い始める。

 谷口は武部をこう評価する。

「彼はマルチタスクの能力が高い。普通なら高学年になると、医学部のルーティンをこなすだけで精いっぱいという学生が多い中、彼は『朝飯前』という雰囲気で、医学部の研修も、研究も、涼しげな顔で両立していましたね。おまけに学部生ながら研究成果を論文にまとめ上げて、有名な海外誌にも投稿していて。単位時間あたりのアウトカム(成果)が普通の人の数倍はあると思う」

 当初、谷口から出されたテーマは「軟骨の再生」。この研究で武部が世話になったのが、神奈川県立こども医療センターの小林眞司(54)だ。外科医の傍ら研究を続ける小林はこう助言した。

「僕は目の前の『一人』を診る。武部君は基礎研究者になり『大医』として万人を助けなさい」

 卒業を間近に控えた頃、武部は研究に力を入れる一方で、臨床医への道も考えていた。臓器移植に興味を持ち、外科の修業で米コロンビア大学の移植外科に留学。ただ、移植先進国の米国でも移植用の臓器は限られ、移植を待つ多くの患者が亡くなっていた。ジレンマを抱えたまま帰国する。

 帰国後、思いがけない展開が待っていた。

「研究を続けてみないか」と横浜市大の幹部から声がかかったのだ。聞けば、武部が学ぶ谷口研で助手の席を用意するという。

 通常は卒業して医師免許を取得後に2年間の初期臨床研修を受ける。受けなければ診療は出来ない。医者にもなれず研究者としても失敗したら、食いっぱぐれる。

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