だが、武部は逆の発想をする。臨床研修を経て博士課程まで終えたら、フルで研究できる時にはもう30歳。最もクリエーティブにものが考えられる時期を逃してしまうと。

 そこで、武部は臨床研修も博士課程もすっ飛ばし、すぐに研究の道に入る決断を下す。上司の谷口には、「3年で結果を出せなかったら、研究を辞めます」と念書を書いて決意を伝えた。

 先述の小林は、武部の決断に度肝を抜かれた。

「『早まると、お母さん泣くよ』って止めたんだけど(笑)。でも彼は早く挑戦できた分、野球でいう高卒ルーキーみたいに、羽を広げている」

 4年前、米国オハイオ州にあるシンシナティ小児病院の准教授に就任した。ここでは、ミニ臓器を進化させ、新しい知を生み出す基礎研究に徹する。引き抜きに近いプロセスでの採用だった。通常よりいい条件でラボの資金的なサポートが得られることになった。シンシナティの武部ラボの創設に関わった、日本医科大学の小池博之(35)は、「複数の研究機関から声がかかって交渉しながら選んでらして。メジャーリーグの契約交渉みたいでした」と振り返る。

■日米四つのラボを疾走、「生活を診る」社会デザイン

 一方、東京医科歯科大学と横浜市立大学では、基礎と応用をつなぐような科学を研究する。18年、両大学ともに31歳の最年少で教授に就任した。

 さらに、iPS細胞技術の製品化を見据え、京大iPS細胞研究所と武田薬品工業の共同研究プログラム「T-CiRA」の研究責任者にも就く。これら4拠点を飛び回り、月に半分ずつ日米を行き来する。

 シンシナティの武部ラボ研究員の木村昌樹(38)は、小学生になった木村の娘の宿題までみてくれる武部のマルチっぷりを不思議がる。

「寝ないか食べないか、ダミーがいるか(笑)」

 武部曰(いわ)く。食はパックご飯の「大人買い」とウーバー・イーツ頼み。米国の住まいの電気代を払い忘れ、追い出されそうになったこともある、と。

 再生医療研究は、医学、生物学、工学、薬学……と多分野にまたがる境界領域を扱う。規模が大きく、チーム戦で詰めていく必要がある。武部はあえて、分子生物学、細胞生物学、化学などと採用する人材の専門性をずらし、「『ズレ』をマネジメントしながらチームを作る」と言う。分野の壁もなく議論が活発で、「一見、生物とは関係なさそうなIoTの話題が研究につながったり。グーグルみたいな職場」と、木村は楽しげに話す。

 今年3月、武部は東京で開催された市民講座「六本木アートカレッジ」に登壇した。お題はもう一つのライフワーク「広告医学」。

「そもそも病気になる以前の段階を診るための体系って、医学部には存在しない。医学を再定義して、再発明していく必要があると思う」

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