早熟の天才、気鋭の写真家。しかし本人にはまったくスカしたところがない。いつ会っても黒いセーターに黒いパンツ(夏はTシャツに変わるらしいが)、白いスニーカーを制服のように身につけ、お酒も飲まず、食事をともにする友人は2、3人。ネットでその名をググれば昨年挙げた結婚式のパーティー写真が目に入り、さぞや“ステキ生活”を送っているかと思えば、「365日、写真のことしか考えていない」とキッパリ。

 そんな彼の写真のなにが、写真の氾濫する現代に、ここまで人の心を捉えるのだろう。その秘密を解き明かしたくなった。

 奥山は1991年、東京・世田谷に生まれた。小学校時代はフランス代表のジダンに憧れてサッカーに熱中した。だがチーム行動は苦手。毎日家の裏手にある神社の境内で、一人で延々とドリブルの練習をした。

「何かをやると没頭してしまう性格なんだと思います。ちょっとオタクっぽいというか」

 映像業界で働く父と専業主婦の母のもと、3歳上の姉、奥山、妹、弟の4人きょうだいで育った。

 実は5歳下の弟も最近、映画監督としてデビューしている。「僕はイエス様が嫌い」を撮った奥山大史(23)。奥山ブラザーズ、恐るべしだが、大史はこう振り返る。

「別段、家にDVDがたくさんあったとかではないですね。ただ、うちはゲームが一切禁止だったんです。テレビゲームもボードゲームもなし。漫画も禁止。だからそのぶん、自分たちなりにほかの楽しみを探したのかもしれません」

 中学時代に腰痛がひどくなり、サッカーを続けられなくなった。そんなとき出合ったのがクレイアニメーション。ちょうど簡易な映像製作用のパソコンソフトが発売されていた。粘土のキャラクターを少しずつ動かして1コマずつ写真に撮る。根気のいる作業をコツコツと夢中になって続けた。

 高校生になると、実写映画に興味がわいた。おとなしめの男子たちが集まって映画を撮る、まさに「桐島、部活やめるってよ」の主人公さながらの世界。16歳のとき全国の高校生の映画コンクールでグランプリを受賞した。チームで何かを成し遂げることの楽しさは、このあたりで覚えたのかもしれない。その賞金やバイト代を撮影費にあて、高校時代は自主映画作りに明け暮れた。

 頭の中に浮かんだものを形にしたい――その手段として自然と映像を手にし、表現することを楽しんでいた奥山に、変化が訪れたのは大学時代だ。

「ずっと男子校で、姉妹以外の同世代の異性と話した記憶がほぼなかったんです。道で女性とすれ違うだけで50メートルくらい手前から怖くて、顔をあげられない。自分を見て何か思われてるんじゃないか……自意識過剰かもしれないけど、いまでも目を見ながら話すのは苦手。男性は誰でもそういう時期があると思うんですけど、僕の場合はそれが大学でやってきた」

次のページ