実際、21歳から5年間夢中で走り続けたあと、奥山は写真が撮れなくなった。きっかけは写真集『BACON ICE CREAM』だ。「奥山くんらしいね」と評価されることが多くなり、逆に「自分らしいってなんだろう」と考えた。膨大な写真から自分らしいと思えるものを選んで写真集にした。でもわからなかった。自分の写真に対する「言葉」を、自分がまだ用意できていなかったのだ。

 しかし写真集は思った以上に多くの人の目に触れた。大きな賞も受賞し、評判も耳に入ってきた。

「自分って人にこう思われてるんだ」「こう見えているんだ」と嬉しい半面、「違う気もする」と感じた。自分がわからなくなっていった。

「自分のまわりにどんどん壁を作られてしまった気分になったんです。自分は野原を一人歩き続けて、遠くに投げたこの写真集を10年後に拾い上げて、そのときになにかわかればいいや、と思っていた。でも周りに『君はこうだ』『このなかにいなさい』と、壁を建てられたような気になって」

 自意識過剰なのもわかっていた。でも窮屈でたまらなくなった。写真を撮るのがいやになり、カメラを全く持たなくなった。不安や焦りはなかった。本当に写真をやめようと思っていたのだ。

 しかし、写真のほかにやることがない。人と会うのもいやだった。しかたなく、家の掃除をすることにした。近所の薬局で洗剤を買い、5年間たまった汚れを延々とこすりおとす。2カ月間、かなりアウトな状態を続けた。

●撮った後に選ぶこと、それが「撮ること」になる

 ふと数少ない友人“哲郎さん”に連絡をした。長野に移住するという彼に同行しようと思い立った。一応、カメラを荷物に入れたが、撮ることは考えていなかった。だが、気がつくと友人一家にカメラを向けていた。幼い子どもたち、はにかむ奥さん、ひだまりの、村の祭り……それが写真集『As the Call, So the Echo』になった。一度撮れなくなった写真が、また撮れるようになった。

「撮るときに考えなくなったんです。それまでは『この仕上がりはどうなるかな』と、カメラを向けたときに“思考”があった。でも、長野ではそれがなくなったんです。対象に向けて、そのとき押せる位置から、ただ押した」

 考えずにシャッターを押し、出来上がってきたネガを見て、写真を選ぶ。「なぜ、このときにシャッターを押したんだろう」と考えたとき、初めて自分の写真を伝える「言葉」が生まれた。撮った後に選ぶ行為こそが「撮ること」だとわかった。

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