「選ぶ行為をしない人は、撮っていないのと一緒」

 こうして写真家・奥山の第2章がはじまった。

 奥山が一つの仕事にかける時間とエネルギーは計り知れない。仕事相手ととことん打ち合わせをし、入念すぎるほどの準備をし、撮影に挑む。気持ちが通わない写真は、撮っていても不健康になる。感情を宿せる瞬間は、そんなに多くない。

「自分の感情が写真に宿り、それが受け手の感情を動かし、また自分に戻ってくる――その循環が僕の写真の原点で、僕自身はたぶん、ずっと変わらないところにいる。それでもいい、と声をかけてくださる人たちと仕事をさせていただける。それがいかに大切かを常に考えています」

 バンド・never young beachのボーカルで友人の安部勇磨(28)は、3年前に出会ってから奥山の仕事への熱量に驚かされてきた。

「奥山君って、測定器を使わなくても光の数値とかわかるんですよ。『あ、いま0・1だな』みたいなことを言う。大学時代にバイト代をつぎ込んで、日本で売ってるありとあらゆるカメラとフィルムの組み合わせを全部やった、と言っていた」

「ナチュラルでなんとなく」な雰囲気を、極限まで作り込んで見せるすごさ。イメージに合う雲を探して、何時間も海辺で雲を観察する忍耐。全方位を写真に向ける努力は並大抵ではない。

「あんな生き地獄みたいな人生ないと思いますよ。結婚パーティーのインスタとか、他人から見たら『優雅だな、オシャレだな』って思われるのかもしれないけど、日々の地獄を生きて、本当に一瞬のご褒美としてそういう瞬間があるんだと思う」(安部)

 都内でも数少なくなったフィルムの現像とプリントを担うグレインハウスの寺屋宣康(67)は、長年、写真家と時代の流れを見続けてきた。奥山とはデビュー当時から付き合いがある。

 デジタル時代になり、写真の質量は変わった。消費され、流れていく写真たち。だが、そのなかで写真の持つ「肉体性」の重要さに、奥山は気付いていると寺屋は言う。いまの時代、自分の意志を持ち続けることはハンパな気持ちではできない。

「いつの時代も、世の中の端っこ、“エッジを歩く人”は必ずいる。彼は、そういう人なんですよね」

 小さなカメラを手に、ギリギリの崖っぷちをゆくサムライ。奥山の横顔からそんなイメージが離れなくなった。

(文中敬称略)

次のページ