昔はピントと露出をきちんと合わせて写すことに職人的な価値がありました。もちろん職人的な要素というのは非常に大切で、きちんとしたカメラワークは最低限必要です。彫刻でもしっかりとしたデッサン力が必要なのと同じです。でも、そこで止まってしまうのではなく、もう一段上を目指す志とエネルギーを持っているかどうかに、自分の作品を創造する作家への道の分かれ目があるような気がします。


自分のスタイルを持つ 優れた自然風景写真家

 私は田淵行男先生の持つ自然観や社会に対するスタンスに非常に共鳴しましたが、映像表現の面ではエルンスト・ハースに大きな影響を受けていると自覚しています。

 1971年に初の写真展「穂高」(35ミリ判モノクロフィルムで撮影)を開催したころ、自然写真の王国であったアメリカにアンセル・アダムスやエドワード・ウェストンを訪ねる旅をしました。

 カルフォルニア州カーメルの美しい海岸の断崖絶壁の上にあるアンセル・アダムスの家の前まで行ったのですが、自分のたどたどしい英語では失礼かな、と思ったりして、とうとう門をくぐる勇気が出ませんでした。ポイントロボス州立自然保護区内にある白い家はガラス窓が大きく、波の砕ける音が聞こえそうでした。切れ落ちた崖の下ではラッコがうねりに身をまかせて泳いでいました。印象が深かったためか、今でも鮮明に目に焼き付いています。

 代わりにヨセミテ国立公園のアンセル・アダムスギャラリーを訪ね、少々無理をしてオリジナルプリントを購入しました。次々と国立公園に立ち寄りながら北上しました。ワシントン州シアトルの書店に入った際、エルンスト・ハースの写真集『クリエーション』を見つけ、ものすごく大きな衝撃を受けました。この写真集を繰り返し開くことで、写真のセンスや画面構成のようなものをたくさん学んできました。受けた影響は大きかったと思います。

 彼らのほか、欧米では巨匠といえるエリオット・ポーター、『ザ・トンガス』で有名になったロバート・グレン・ケッチャム、日本でも人気のあるマイケル・ケンナ、『ジェネシス』のセバスチャン・サルガドなど、私が写真集を通して知るだけでも次々と名前をあげられます。みな個性的な、自分のスタイルを持つ優れた自然風景写真家という一面を持った人たちです。日本の現状はどうでしょうか。


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モノクロは奥に 潜むものが見えてくる