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 先日、「風景写真を考える」という一風変わったタイトルの写真展を東京のリコーイメージングスクエア銀座で開催しました。展示作品36点はすべて銀塩モノクロ写真です。

【水越武さんの芸術的モノクロ風景写真はコチラ】

 たぶん日本でいちばん風景写真に詳しいクリエーティブディレクターで、ご自身も写真を撮られる板東尚武さんとのトークイベントにはたくさんの人に来場していただきました。熱心にメモをとるみなさんの姿から、このテーマに対する関心度の高さが伝わってきました。

 では、なぜこんなタイトルをつけたかと言いますと、いま、風景写真はあまりにもワンパターン化し、広い意味でのコマーシャル化してしまったことに対して疑問を持っているからです。自分の目や心をどこかに置き忘れたのか、自然としっかり対話し、心を打つような素晴らしい風景写真が本当に少なくなってしまいました。

 その一つの原因としては、バブルの時代、写真エージェントが大繁盛し、撮影者不明ののっぺらぼうともいえる写真が横行し、もてはやされました。その影をいつまでも引きずっていることは確かです。そのほかにもさまざまな事情が考えられますが、それはまたの機会に譲ります。

 私は写真を始めた27歳のときから「風景写真はどうあるべきか」を考え、模索してきました。そして最近、もっとも大切なことは自分の自然観を作品に織り込むことだと考えるようになりました。周囲から愚直と言われようが、この意識は変わりません。

 なかなか解決のめども見えない世界規模での厳しい環境問題をいくつも抱える時代に私たちは生きています。このような時代に自分はどのような意識を持って自然と向き合い、風景を考えたらよいのか、これはとても大切なことです。特に自然を相手に仕事し、生活をしている人間としては、深く考えなければならない問題だと思います。

 一見すると、写真というのは、カメラを構えてシャッターを切ればすべてが写るように思えます。しかし、実は写しにくい、自分の意図するねらいをしっかりと表現しづらいものなのです。

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自分のスタイルを持つ写真家