初めて出場した05年は準決勝止まりだった。鯵の煮干しをラードで焦がして豚骨と合わせた一杯に自信はあったが、作るのに手間がかかりすぎることや、大量に作るとブレが出るなど売り物としては難しいとの評価だった。腕試しという気持ちで出場したが、この結果は山口さんにとってショックだった。2~3カ月はラーメンからは遠ざかったが、翌年再び出場し、商品としても成り立ちやすい魚介豚骨のラーメンでリベンジ。これが審査員の舌にもハマり、見事準優勝を獲得した。
こうして山口さんは「ラーメンスクエア」の1年間の出店権を手にした。37歳の時だった。店名は山口さんのハンドルネームから「麺屋にゃみ」と名付けた。
山口さんはすぐに有名店になれると思っていたが、その考えは甘かった。はじめの1、2週こそ「ラーメンスクエア」内ではトップの売り上げだったが、次第に客足は途絶えて行った。飲食店勤務の経験がなく、運営面では素人だった山口さんには、オペレーションがうまくいかず、味にもブレが出てしまった。また、「ラーメンスクエア」という施設の特性上、一見のお客さんが多いため、山口さんのラーメンは強烈な個性を持つ他店のラーメンとの競争に負けてしまったのだ。
「歯が立ちませんでした。味以上に見せ方やラーメンを表すキーワードが必要なんだなということを知りました」(山口さん)
結局売り上げがついてこず、1年で撤退することになる。
だが、自分のお店をもう一度持つという希望は捨てなかった。山口さんは府中で知人が出資するラーメン店の立ち上げにゼロから携わり、「ラーメンスクエア」での経験を生かして人気店に押し上げた。その実績が自信と足掛かりになり、いよいよ独立に向けて準備を始める。