日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介するこの連載。今は亡きラーメンの鬼・佐野実さんの遺志を受け継ぐ名店「らぁ麺 すぎ本」の店主が愛するラーメンは、会津出身の“自作ラーメン”の天才が作り出す珠玉の一杯だった。
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■独立後に直面した師匠・佐野実の死
2013年12月に中野の鷺ノ宮駅近くにオープンした「らぁ麺 すぎ本」は「ミシュランガイド東京」のビブグルマンを3年連続獲得している名店だ。鶏・豚・魚介の旨味溢れるスープに香り溢れる醤油ダレを合わせた一杯には、地元のみならず全国から多くのファンが集まる。
店主の杉本康介さん(41)は、サラリーマン時代に年間500杯ペースでラーメンの食べ歩きを続けてきた。大好きなラーメンで独立したいと決意した杉本さんが修行先として選んだのが、“ラーメンの鬼”佐野実さんの「支那そばや」だった。
厳しい修行を3年半続けたのちに独立し、「らぁ麺 すぎ本」をオープンした。当初は思い通りのラーメンを作れず、客足も途絶えていく。さらに、14年4月には佐野さんが死去。師匠を唸らせる一杯を作れぬまま、杉本さんは“佐野実の最後の弟子”となってしまった。
「佐野実の名に恥じぬよう、意地でも美味しいラーメンを作らなくては」
決意を新たにし、自分のラーメンを突き詰めるべく研究を重ねた。まずはスープに集中しようと、麺は製麺所から取り寄せた。だが、スープの完成度が上がると、それまで使っていた麺との相性は悪くなっていった。
そんなある日、京都の老舗製麺所「麺屋棣鄂(めんやていがく)」の工場長・知見和典さんに出会う。そこで杉本さんが麺に対する思いを伝えると、なんと「棣鄂」が杉本さんの作るスープに合う麺を作ってくれることになった。知見さんは毎日のように麺を京都から送ってくれた。何度もやり取りをしていく中で、スープにぴったりの理想の麺が仕上がった。
同時にスープのレベルも上がっていき、思い描いていた一杯が完成した。それとともにお客さんの数も増えていき、「すぎ本」はミシュランガイド初掲載となる。16年のことだった。
だが、杉本さんには「自家製麺」を作ってみたいという思いもあった。18年に隣の物件が空き、お店を増築したことをきっかけに、製麺機を置けるようになり、自家製麺にチャレンジしようと決意する。「家賃が倍になってもやりたいことをやろう」。杉本さんは自家製麺の実現に向け、動き始めた。
まずはいい製麺機を選ばなければいけないと、亡き師匠・佐野実さんの妻である、しおりさんに相談した。そこで、思ってもなかった言葉を告げられる。
「ラー博(新横浜ラーメン博物館)に佐野の製麺機があるから、それを使ってみたら」(しおりさん)
師匠の佐野さんとともにラーメンの歴史を刻んできたといっても過言ではない製麺機。ラー博の館長にも快諾をもらい、製麺機が「すぎ本」にやってきた。粉も「支那そばや」のものを使っている。まろやかなスープを自然に持ち上げる、つるつるとした滑らかな麺は、まさに佐野さんのDNAを受け継いでいた。
「ラーメン作りは永遠です。まだまだ美味しくなります。いつも『まだ途中」と思いながらラーメンを作っています」(杉本さん)
今後はラーメン文化の発展のために人を育てたいという。「師匠から受け継いだラーメンへの思いを後進に伝え、さらにその人たちにも次の世代に伝えていってもらいたい」と語る。そんな杉本さんが愛するラーメンは、自宅で作る“自作ラーメン”の天才が激戦区・高田馬場で繰り出す珠玉の一杯だった。