それまで野次ばかり飛ばして私の直感を打ち消していたのは、仕事を通じて刷り込まれた「女はニコニコ可愛くしていろ。差し出がましく自分の意見なんか言うな」という価値観でもありました。
私が放送局のアナウンサーとして働き始めた90年代半ばのテレビ業界というのは、マッチョで男性優位な、ノリ重視で乱暴なくらいがかっこいいとされる軽薄野蛮な風土があったのですが(今はさすがに変わってきていると思います)、そこで女性アナに求められるのは、若くて可愛くておっちょこちょいで、でも底抜けのバカではない程度に賢い高学歴のお嬢様で、男性がそばに侍らすと見栄えのする都合のいい女であることでした。私自身もそのようなことを求められるのを当初はさしたる疑問もなく受け入れており、女で得したなあなどと思っていたのです。しかし程なく、いやこれおかしいだろ、という意識が頭をもたげました。
それは私が自立心溢れる女子高育ちで女子ロール男子ロールというものに全く洗脳されていなかったことと、「女子アナ」なる俗称で呼ばれる役割において要求される外見の基準をクリアするような容姿の持ち主ではなかったことが理由かもしれません。背が大きく顔がいかつくていわゆる愛くるしい人気アナとは系統が違う。体育会系の経験がなかったため、上下関係について期待されるような儀礼的な振る舞いができない。さらには決められた文言や「女子アナ」らしいリアクション以外の発言は求められていないにも拘わらず余計なことを言う。結果として、生意気で目立ちたがり屋という評価を受けました。むべなるかな。
「余計なことを言う」に関しては、先述したように本能的に「こうしたほうが良いんじゃないか」とその場を司る視点で考えてしまう性分と、その思いつきを気兼ねなく口にしてしまう性質が災いしていました。この気兼ねなく口にするという点に関しては、あるいはADHDの特徴の一つである衝動性というのが関与しているのかもしれません。しかしそれは場数さえ踏めば、決められたことしかできない司会進行係よりもはるかに有能と評価される場合もあるので、悪いこととは言えません。