例えば誰かと話していて「この人はどうやら私のことを信用できると思ってくれているようだ」と直感ではわかっても、すぐに「いやいやお前のようなものを誰が信用するかアホ」とか「いやいやそう見せかけておいてひどいことをするのが人間なのよ」などというクソバイス(アドバイスのように見せかけて相手にマウンティングしたりネガティブな思考を植え付けようとする行為(c)犬山紙子さん)が横合いから聞こえてくるので、自分が出した答えとの間で齟齬が生じて非常に混乱し、最終的にネガティブな解釈を選択してしまって相手の信頼を素直に受け取れないのですね。
人は誰しも孤独な内的世界においてもある種の合議制をとっており、自分が生きてきた中で出会い取り入れた色々な人物の人格が自己内野党としてあるいはメンターとして常時居坐っているのではないかと思います。
私の場合はその大半が長らく両親や姉や他にもネガティブな言葉を植え付けるのが上手だったいろんな人たちによって占められており、いわば自分自身が下野していた状態であったため、物事を判断する際に自発的に出した答えが脳内多数派によって徹底的にダメ出しされひっくり返されることの連続であったように思います。
だから、自分を嫌いな人のことは比較的よくわかっても、好いてくれる人のことはなかなかわからない。それというのも、自分が人に好かれることはあり得ないという前提が強固としてあったからなのです。
しかしありがたいことに呆れるほどのポジティブ思考の夫と、全面的に私を大好きであるらしい息子たちの出現によりこれはだいぶ改善されました。夫や息子たちや、そして大人になってから出会った心から尊敬できる友人たちが、次第にその脳内議会の多数派を占めるようになり、両親や姉の声は聞こえなくなりました。いつの間にか私は自分の声を信じることができるようになったのです。