そんなとき、私は強烈な違和感を覚える。「え? 経営トップが掲げているのではなく、経営トップさえも『会社が』で済ませているのは、どういうことなんだ」と。

 私はサイボウズを創業する前、松下電工(現パナソニック)に勤めていた。松下には、創業者である松下幸之助さんが掲げた「水道哲学」という事業哲学がある。水道の水のように、必要とされる製品を安い価格で潤沢に世の中に届けようというものだ。1932年(昭和7年)5月に開かれた、松下電器製作所の第1回創業記念式で、社主告示として示された思想だ。

 今でも水道哲学を評価する人は多い。とはいえ、それはすでに90年近くも前の話である。時代は変わっているはずだ。しかし松下にいると、水道哲学はあたかも石碑に刻まれた碑文のような状態で残っている。

 幸之助翁が亡くなった後に入社した世代にしてみれば、「水道哲学に基づく事業とは、誰がやりたいと考えているのですか」と感じてしまう。事業や経営の哲学は、必ずそれを提唱し、実践しようとする「誰か」とセットになっているはずだ。なのに、言葉だけが石碑に刻まれて残っている。そして「誰が」が抜けた、つまり魂が抜けた状態なのに、その理念が多くの社員を縛り、時には翻弄さえする。

●石碑に刻まれた理念を後生大事に守る「石碑経営」

 サイボウズの代表挨拶で、私は「チームワークあふれる社会を創る」という理念を語り、それに沿って事業展開していることを明らかにしている。その考えに共感し、手伝ってほしいと願っている。

 しかしこれは、あくまでも2019年段階の代表取締役社長である青野慶久が、「これをやりたい」と言っているに過ぎない。だから、来年は変わるかもしれない。足もとの理念に縛られ続けてはいけないのだ。社員には、「そこをはっきりとさせておこう」と言っている。

「理念は石碑に刻むな」が私たちの“格言”になっている。石碑に刻んだ瞬間に、それは働いている人と乖離し始める。どのようなビジョンでも、それは必ず人の心の中にあるものだから、人に注目しなければいけない。

 言葉だけが独り歩きを始めると、言葉がモンスターになり、私たちは石碑に使われるようになってしまうのだ。

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酒場で愚痴るのは卑怯者のやること サイボウズが社員に課す「質問責任」