箱根駅伝にはもうひとつ路面電車とコースを共用する区間があった。平塚中継所から襷を受けた4区の小田原市内には、1956年3月まで「箱根登山鉄道・小田原市内線」の路面電車が走っていた。小田原~箱根板橋を結ぶ約2400mの路線で、駅伝とコースを共用したのは国道1号線に沿った市役所前~板橋見附と推測される。この1956年の第32回では中央大学が往路・復路を制して総合優勝している。
小コラムを読まれる時間帯に、トップの学校がどの辺りを走っているのか気になるところだ。路面電車の電車道をコースとして走った時代から半世紀以上の歳月が流れた。あの時代に、路面電車を横目で見ながら快走した「箱根駅伝ランナー」各位の栄冠をたたえるとともに、ますますのご健勝を祈念したい。
※現在のコースから撮影当時を遡っているので、当時のコースは多少異なる場合もあることをご了承願いたい。
■撮影:(都電:日比谷)1964年1月1日/(都電・芝公園)1967年12月6日/(都電・三田)1963年3月17日/(横浜市電・生麦)1965年11月30日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。