この写真は曙町(後年・東洋大学前に改称)から終点三田停留所に到着した2系統の都電だ。2系統は三田を発して日比谷公園~神田橋~春日町(後年・文京区役所前に改称)~曙町に至る9375mの路線。シングルナンバーを付与されているが、朝夕のラッシュ時にそれぞれ2本の運転ダイヤが組まれている希少系統だったから、駅伝ランナーが2系統と遭遇した確率は非常に低かったことと推察する。
1区のコースはこの画面右端で大きく右折して、国道15号線(京浜第一国道)に合流する。画面手前で平面交差している単線軌道は画面左端にある三田車庫からの出庫線で、国道15号線上の金杉線にも複線軌道が敷設されている。箱根を目指すにランナー達は、アスファルト道路とは感触の違う軌道敷に神経を使いながら疾駆したかもしれない。
1区はこのあと品川から大森、蒲田を抜け六郷川で神奈川県に入る。緩やかなアップダウンの六郷川から道幅の広い川崎市内に入り、元木交差点で「川崎市電」の路線と交差して2区のランナーの待つ鶴見中継所めがけてラストスパートする。
駅伝ランナーが瞬時に出会った「川崎市電」は1944年に開業した路面電車で、元木交差点近隣の停留所は「第一国道」と呼ばれていた。1969年4月に全線が廃止されているが、この年の第45回は日本体育大学が往路・復路を制して総合優勝した。
写真は国道15号線上に敷設された横浜市電・神奈川線を走る2系統の市電だ。京浜国道の海側から横浜方を狙った一コマで、背景は国鉄(現・JR)高島貨物線の高架橋梁だ。画面右端に生麦停留所があり、トラック輸送で輻輳する車の流れの隙を突いて撮影している。2系統は生麦を発して横浜駅前~高島町~桜木町駅前~花園橋~本牧一丁目に至る10390mの路線。ここは鶴見中継所で襷(たすき)を受け、「花の2区」と呼ばれる各校のエースが競う区間だ。このカメラアングルだと、横浜駅方面に向うランナーの背中を眺めることになる。余談であるが、画面左手前奥にはキリンビール横浜工場があり、1862年に発生した「生麦事件」の石碑が建立されている。
神奈川線の生麦に市電路線が延伸されたのは1928年で、この年の第9回箱根駅伝では明治大学が栄冠に輝いた。また、神奈川線が全廃された1970年の第46回では日本体育大学が前年に続き箱根駅伝を連覇している。
箱根駅伝のコースは、この生麦から横浜駅前~高島町~浜松町~保土ヶ谷駅前と横浜市電に沿って西下し、市電の軌道敷と別れた先に有名な「権太坂」の坂越えがあり、最終五区の「箱根越え」に次ぐ難所とされている。