今日で8月も終わりですね。陽射しは強くても、ひと雨ごとに秋の気配を感じる季節がやってきました。明日9月1日は、各地でさまざまな「八朔(はっさく)」の行事が行われます。四季の移り変わりを大切にする日本ならではの節句、八朔について紐解いてみましょう。
「はっさく」といえば、果物をイメージする人の方が多いかもしれませんね。名の由来は、今の時期に食べ頃になるからとか。(ただし、本来の収穫時期は冬。謎が残ります……。)

「八朔」は8月1日のこと。この日が大切にされる理由とは?

月の満ち欠けによって1か月を定めていた旧暦(太陰暦)では、新月が現れる日を月初めとしていました。「朔」とは新月のことで、「朔日」は1日(ついたち)を意味します。
八朔と呼ばれる旧暦8月1日は、夏から秋への季節の変わり目。早稲(わせ)の穂が実る季節でもあり、古くは農家で収穫の無事を祈念し、田の神に供え物をして豊かな実りを願いました。
八朔の頃に、初穂を恩人などに贈る風習があったことから「田の実の節句」ともいわれていました。「田の実」が「頼み」に通じることから、鎌倉時代(1185年~1333年)になると、武家や公家の間でも日ごろ頼むところ、お世話になっている主人や師匠などに礼や贈り物をする日として広まっていったのです。

庶民のさり気ない心遣いが、ついには幕府あげての公式行事に!

八朔の風習は、室町時代(1336年~1575年頃)には幕府の公式行事となり、大名や寺社が刀剣や馬などを献上した記録が残っています。
このような贈答習慣は武家社会を中心に広まっていき、江戸時代には徳川家康の江戸城入城が天正18(1590)年8月1日だったことから、幕府はこの日を祝日と定めます。こうして八朔は幕府や武家にとって正月に次ぐ重要な日となります。大名や旗本が、将軍家に祝辞を述べる「八朔御祝儀」と呼ばれる行事も盛大に行われていたそうです。
稲穂を贈って感謝を伝える庶民の習慣が、やがて徳川幕府においてもきわめて重要な儀式として受け継がれていくことになったのですね。

田の神に豊作を祈願し、人と人の絆をつなぐ季節の節目

旧暦の8月1日は現在の新暦(太陽暦)に当てはめると、8月下旬から9月の中旬となり、本年2018年は9月10日が旧暦の8月1日になります。明治改暦以降の八朔行事は、新暦8月1日や月遅れで9月1日に開催されることが多いようです。
京都・祇園で行われる八朔の挨拶回りは新暦の8月1日。礼装した芸妓さんや舞妓さんがこの日、日頃の感謝を込めて師匠やお茶屋などへ挨拶回りをすることが慣わしとなっています。京都をはじめ西日本各地で、お中元の挨拶を8月1日からはじめるのは、このような習俗が贈答のかたちになったものとか。

盛大なお祭りとして有名なのは、本県上益城郡山都(やまと)町で行われる「熊本の八朔祭」。旧暦8月1日に近い新暦9月第1土曜・日曜の2日間にかけて行われます。今年は9月1・2日です。
豊年祈願の祭りとして、江戸中期から約260年の歴史があります。目玉の「大造り物」は、竹・杉・すすき・松笠など自然の産物が材料。受け継がれる技で、竜や動物などの迫力ある造形に仕上げられた何体もの大造り物が町内を練り歩き、五穀豊穣を祈ります。

明日から9月。まだまだ陽射しは強くても、空高く風の色も変わってきたのを感じます。過ぎゆく季節のなかで一寸立ち止まり、実りの季節に感謝し、お世話になっている人に思いを寄せてみませんか。

参考文献
岡田芳朗・松井吉昭『年中行事読本』創元社 2013