74歳の村上春樹が、6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』でさらなる「深化」を見せた。専門家は今回を、そして今後をどう分析しているのだろうか。精神科医の斎藤環さんに聞いた。AERA 2023年5月1-8日合併号の記事を紹介する。
【写真】4月13日に発売された村上春樹の長編小説『街とその不確かな壁』
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今回の作品は1980年に文芸誌のみに発表された中編『街と、その不確かな壁』が核となっている。
そこからどのように新しい世界観に到達したのか。精神科医の斎藤環さんは、それを語るうえで欠かせないのが『ねじまき鳥クロニクル』(94~95年)だと言う。
「精神医学的に言えば、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(85年)までの彼の作風はスプリッティング(分裂)──つまり世の中を善と悪、センスのいいものとダサいものなど二元論的に考える、そんなスプリッティング的な世界観でドライブしていました。ところが突然、『ねじまき鳥』以降はディソシエーション(解離)のモチーフに変化します。いわゆる壁抜けなどの世界観で、村上さんご自身もなぜそうなったかわからないと話しているくらい謎めいた変化でした」
この視点から見ると、新作の核となった『街と、』『世界の終り』の2作はまだ「分裂時代」の作品。どうしても物足りなさ、飽き足らなさがあったのではないかと斎藤さんは言う。
「その当時の作品を、解離という装置を手に入れたいま、もう一回書き直したいと思うのは自然ななりゆきかなと思います」
もう一つ、斎藤さんが最近の傾向として指摘するのが、『1Q84』(2009~10年)に登場した読み書きに障害のある少女以降、意識的に「発達障害モチーフ」を導入していることだ。今回の少年についても「発達障害的なキャラクターが媒介者の役割を果たす」ことがとても効いていて、世界観がより深まっていると指摘する。
「解離への変化と発達障害のモチーフ。この二つの新しい要素によって『世界の終り』などで書かれたものよりも緻密(ちみつ)で洗練された、深化した世界が書かれていると感じています」