「喜九家」の特製中華。鴨チャーシュー、豚チャーシュー、味玉、もみ海苔、ナルト、メンマ、三つ葉、ネギがのっている(筆者撮影)
「喜九家」の特製中華。鴨チャーシュー、豚チャーシュー、味玉、もみ海苔、ナルト、メンマ、三つ葉、ネギがのっている(筆者撮影)

■3年間赤字続き、つけ麺の「スープ割」も知らなかった

 東京都青梅市で2011年に創業した「喜九家」(「喜」は「七」を三つ並べたもの。以下、店名の「喜」はすべて同じ)。店名の「喜九家」は店主である大野喜久さんの名前「喜久」を旧字体で表現したものだ。

 本店は青梅だが、「喜九八~garage~」、「拉麺 イチバノナカ」、「喜りん食堂」、「喜九八~エキチカ~」と埼玉県所沢市に四つの店を展開し、青梅、所沢エリアをリードする人気グループとなっている。

 大野さんは所沢市生まれ。両親が共働きで、昔から自分で料理を作る生活だった。日々台所に立つのは当たり前で、将来の仕事として料理に非常に興味があったという。

 ラーメンを好きになったのは、高校時代に東京・中野にある名店「青葉」に食べに行ったのがきっかけだ。その後高校を卒業し、大学進学に向けて浪人生活をスタートする。だが、親の会社が倒産寸前になったことで進学を断念。次の日には警備員のアルバイトを始めた。

「1年間お金をためて料理学校へ通って、料理の道を志そうと思いました」(大野さん)

 もともとイタリアンがやりたくて料理学校に入ったが、バイト先の和食居酒屋で食べたアナゴの煮物にいたく感動し、和食にシフトした。その後、静岡県の東伊豆にある「稲取銀水荘」で3年半修業。その後、居酒屋やホテルなどを転々として、結婚。妻の実家が青梅で営んでいた弁当屋を継ぐことになった。27歳の頃だった。

「喜九家」店主の大野さん(右)(筆者撮影)
「喜九家」店主の大野さん(右)(筆者撮影)

 朝2時に起きて、弁当を作って配達し、夕方の4時頃に仕事が終わる生活。だんだんとそれに飽きてきて、弁当を作った後の時間でラーメン屋を開くことにした。これが「喜九家」である。2011年、34歳の頃だった。

 イタリアンや和食、そして弁当屋とさまざまなジャンルを経験してきた大野さんだが、昔からラーメン屋をやってみたい気持ちがあった。いつか来るその日のために基礎作りをしていた。

「銀水荘では、まかないで勝手にラーメンを作って怒られたこともあります。でも、板長だけはその味を褒めてくれました」(大野さん)

 念願かなって、いよいよラーメン店の開業。「喜九家」では、みそつけ麺と豚骨魚介の中華そばを提供した。

 しかしその後3年間は赤字の日々が続くことになる。

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つけ麺「スープ割り」知らなかった