
プロ野球に進んだ者にとって、甲子園は通過点なのかもしれない。とはいっても特別な舞台。喜びや悔しさ、それぞれに思いを持って、ルーキーたちは新たなステージに挑んでいる。AERA増刊「甲子園2025」の記事を紹介する。
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父を超えることを目標に
兵庫県出身の金丸夢斗にとって甲子園は幼少の頃から慣れ親しんだ球場で、高校野球の審判を務めている父・雄一さんの“応援”でも足を運んだ。神港橘時代は父と同じ舞台に立つべく春夏の甲子園を目指した。最も縁遠い場所でもあった。
「父は自分が小学1年生の頃から練習に付き添ってくれて、二人三脚でやってきました。息子が出場する試合を父が裁くことは規定でできないんですけど、自分も憧れの舞台に出場して、(選手としては出場経験のない)父を超えることを目標にしていました。ただ、コロナ禍によって最後の夏の大会がなくなってしまった……その悔しさは今もあります」
今年度に23歳を迎える金丸らは、新型コロナウイルスの影響を受けた悲運の世代だろう。高校最後の夏を失っただけでなく、金丸の場合は関西大学進学後も仲間との全体練習がままならなかった。
「そもそも自分はやらされる練習はあんまり好きじゃない。将来を見据えながら、自分に必要な練習をコロナの期間に集中してできたというのが今の自分を作っている。子どもの頃は身体が小さくて、プロ野球選手になりたいと口にすると、周囲から馬鹿にされることもありました。それでも自分だけはプロ野球選手になれると信じて、取り組みもブレなかった。甲子園がなくなった悔しさをバネにして、糧にして、時間を有効に使えたからこそ、今こうしてプロ野球選手になれたんだと思います」
プロを夢見る球児のほとんどが甲子園を目指す。しかし、そのうちの大半が道半ばで潰えて新たな一歩を踏み出してゆく。甲子園を目指す過程と、逃した後の時間の使い方でプロへの道はいくらでも開けていくというのが金丸の考えだ。
昨秋のドラフトでは4球団から1位指名され、中日が交渉権を獲得した。1年目の今季途中から先発の一角を担ってきた金丸だが、インタビューを実施した7月22日時点で、8試合に登板して0勝4敗。白星はなくとも、そのうち7試合で6イニング以上を自責点3以下に抑えるクオリティースタートを達成し、防御率は2・41だ。打線の援護に恵まれていない金丸を責める者はいない。