右足にテーピングをして強行出場した清原は1点ビハインドの4回、逆風を衝いて左翼ラッキーゾーンに執念の同点ソロ。再び1点を勝ち越された6回にも、バックスクリーンに特大の大会通算5号同点弾を叩き込んだ。「甲子園は清原のためにあるのか!」という植草アナの名実況が聞かれたのは、このときである。

 この時点でプロを意識していた桑田も、得意のカーブを多投せず、直球主体で押すこだわりの投球で、9回まで約束通り3失点でしのぐ。

 そして、3対3の9回裏2死二塁、主将・松山秀明の打球が右中間に抜けた瞬間、2年ぶり3度目の夏制覇が実現した。桑田も清原も泣きながら、サヨナラの走者・安本政弘を目がけて走り寄っていく。歓喜の輪の中で、清原が愛用のバットを傷つけまいと、右手で高々と掲げるシーンも印象的だった。

 あれから40年。数々の栄光に彩られたPL野球部は2016年夏を最後に休部となり、現在は学園の存続すらも危惧されている。だが、KKが甲子園で樹立した歴代最多の通算20勝と通算13本塁打は、これからも不滅の記録”として語り継がれることだろう。

(文:久保田龍雄)

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