
今年も夏の甲子園大会が開幕。毎年球児たちの“筋書きのないドラマ”に熱い視線を送るファンの中には、今から40年前に甲子園で“最強伝説”を打ち立てたPL学園の“KKコンビ”桑田真澄と清原和博を懐かしく思い出す人も多いはずだ。
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1980年代前半の高校球界は、荒木大輔の早稲田実業、やまびこ打線の池田、KKのPLが直接対決による“主役交代劇”を演じてきた。
1年生の夏から5季連続で甲子園に出場し、“大ちゃんフィーバー”を巻き起こした荒木は、1982年夏の準々決勝で強打の池田に粉砕され、夏春連覇を成し遂げた池田も翌83年夏、PLに主役の座を明け渡すことになる。
同年のPLは、背番号11のエース・桑田と4番・清原の1年生コンビが話題を集めたものの、大会前はノーマーク。中村順司監督も「甲子園で1回だけでもいいから(勝って)校歌を聴こうな」とナインに言い聞かせていた。
だが、1回戦で所沢商に勝って、目標の1勝を挙げると、あれよあれよという間にベスト8進出。準々決勝でも高知商に10対9と打ち勝ち、準決勝で“大本命”池田と激突することになった。もちろん、この時点でPLの勝利を予想した者は、皆無に等しかった。
ところが、いざ蓋を開けてみると、桑田が無敵のやまびこ打線を5安打完封し、世間をあっと驚かせる。
入学早々、長打を連発して主軸に抜擢された清原とは対照的に、桑田は投手失格の烙印を押され、外野で球拾いをしていた。だが、外野からの返球の非凡さが、監督として8度の甲子園出場の実績を持つ清水一夫臨時コーチの目に留まったことがきっかけで、マンツーマンの特訓を経て、甲子園入り後、一気に素質を開花させる。大阪大会では曲がらなかった覚えたてのカーブも、甲子園では打者がのけぞるほど威力を発揮し、池田打線に凡打の山を築かせた。
桑田はバットでも存在をアピールする。1点を先制した直後の2回2死二塁、大会ナンバーワンの剛腕・水野雄仁から左翼席中段に値千金の2ラン。「レフトはただ見上げるだけだ~! 真っ白いスタンドだ! ホームラン!」という朝日放送・植草貞夫アナの実況が今も耳に残っている。