
柳楽馨さんは大原鉄平さんのデビュー作『八月のセノーテ』を、自分の居場所について不安に思ったことのあるすべての人のための小説、と語る。
本作ではタワマンという「家」を舞台に、とある親子を描いている。家とは当たり前にあるものなのか、その土台は確かなのか、安住と永住は結びつくのか。
とある親子と「家」を通して、大原鉄平さんが訴えようとしたことは一体何なのか。皆様にも共に考えてほしい。
* * *
もうすぐ住めなくなりそうな私たちの家
本書『八月のセノーテ』は、「森は盗む」で第10回林芙美子文学賞を受賞した大原鉄平によるデビュー作であり、「森は盗む」も収録されている。大原には古民家のリノベーションの経験があり、彼の小説は私たちが日々暮らす「家」について考えさせてくれる。『八月のセノーテ』で大原が選んだ家は、まさに現代の豊かさのシンボルというべき、タワーマンションである。小説家・大原鉄平の魅力がはっきりと形になった『八月のセノーテ』は、ひとつのとても大きなテーマに触れている。
中学一年生の主人公の森本仁寡は、タワマンの最上階に住んでいる。父親が飲食店経営で成功したおかげだ。けれど、昨今よく聞く言葉でいうと、仁寡の父・和久の「自己肯定感」はとても低い。和久は、自慢の店を汚した不良中学生に激怒して土下座までさせる。ところがその瞬間、まるでその中学生と入れ替わったかのように、額が床に触れた冷たさを味わうのは和久の方だ。和久も、父親に土下座したことがあった。「この家に居させてくださいと謝ったあの日の自分が突然目の前に浮かんだのだった」。虐げられた和久の心には苦痛と屈辱が釘のように打ちこまれている。父に反発して故郷を離れ、懸命に働いてタワマンを買っても、和久の「自己肯定感」にはヒビが入ったままだ。

八月のセノーテ