
家を建てたり建て直したりする過程をつぶさに見ている大原鉄平は、だからこそ「家」を当たり前のものとは思わないのだろう。それはどこか、生まれたばかりの子どもを育てる親が、子どもに何かあったのではないかと不安に駆られやすいのに似ている。家だろうと子どもだろうと、まだ存在していなかった時から生まれるところを見てしまうと、それが崩れて滅びていく姿も想像してしまう。『八月のセノーテ』の和久の「自己肯定感」が脆いのもこのせいだ。土下座しないと家にいられなかった男は、自分の家を手に入れても、誰かにその家を奪われる気がして不安になる。だから和久は、息子の仁寡が家を不法占拠しているかのように言う。「この家はお父さんが買うたんや。お前はそこに住まわせてもらってるわけや。わかるか。文句があるんやったら自分で金稼いで来い」。ほんとうにそこを自分の家だと思って安住する人間ならこんなことは言わない。和久は、幼いころに安住できる家を奪われ、いわば仮住まいの暮らしをずっと続けているようなものだ。まるで、出港したままいつまでも漂う船のように。
だから、大原鉄平が描く家はゆらゆらと波に揺れる船に似ている。それはノアの方舟のように、滅びかけた生命を運んでいる。船に乗る人々は、誰一人そこで永住しようなどと思わない。この小説のもっとも美しい箇所で漁師の西田が言うように、船は、すぐそこにある海という死の深淵から私たちを守る一時的な避難所だ。『八月のセノーテ』は、タワマンで暮らす富裕層の話ではない。それは、自分の居場所について不安に思ったことのあるすべての人のための小説だ。ところで、気候変動その他によって地球そのものが人間にとってますます住みにくくなっている今、大原鉄平の「家」は、そのまま私たちの世界のことのように思える。
ならば、この世界から脱出する術はあるのだろうか? もしあるなら、それこそがタイトルに含まれる「セノーテ」、仁寡が探し求める別の世界への入り口だ。新天地に旅立つために少年が何を必要とするのか、それは読者がそれぞれ、この『八月のセノーテ』を読んで確かめてほしい。
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