試合開始早々、照明灯の故障が原因で1時間22分も中断した挙句、中止決定に怒ったファンが暴動を起こしたのが、75年7月26日の中日対広島(中日球場)だ。

 0対0の1回裏2死、広島の先発・外木場義郎が中日の3番・谷沢健一に4球目を投げたとき、ボッ!という音がして、三塁側広島ベンチ後方の照明灯1基が突然消えた。

 日没前の18時45分とあって、まだ明るかったが、谷村友一球審は「ホームベース近くを照らすだけに、暗くなれば支障をきたす」として試合を中断、球場係員に修理を依頼した。

 19時ごろに操作用トレンスの故障と判明し、当初は「30分ほどで修理可能」という話だったが、19時25分ごろに再びスイッチを入れても点灯しない。その後、工事を請け負った電気工事会社の内線工事技師も駆けつけ、最善を尽くしたにもかかわらず、「修理不能」で、20時7分に中止が決まった。

 さんざん待たされた末にノーゲームという踏んだり蹴ったりの事態に、スタンドのファンは激高。「中止にします」のアナウンスが終わらないうちに内外野席からネットを乗り越え、約1000人がグラウンドに乱入する騒ぎとなった。

 球場正面玄関でも「券を払い戻せ」と黒山の人だかりができ、どさくさに紛れて窓ガラスを割る者もいた。

 思いもよらぬアクシデントに、中日・与那嶺要監督も「投手の投げた球のスピードが一番増すところが暗くてはどうしようもない。ファンにためにもやりたかった」と無念の表情だった。

 この事件とは逆に、試合終了目前に停電というアクシデントに見舞われたのが、79年7月17日に西武球場で行われた西武対日本ハムだ。

 2対6とリードされた日本ハムは最終回に2死一、二塁と最後の粘りを見せる。ところが、次打者・富田勝が打席に立った直後、加熱によるブレーカーの故障で停電し、場内は真っ暗になった。

 修理のため、16分の中断を経て試合再開も、富田は東尾修の初球を打って、二ゴロであっけなくゲームセット。せっかく盛り上がった場面で試合が中断し、待たされた挙句にたった1球でおしまいというどっちらけの幕切れに、ファンは「もうちょっと見せろよ!」と大ブーイングだった。

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