
上半期を締めくくるレースとして1960年に創設された宝塚記念。今年は2週間早く「初夏のグランプリ」が訪れる。
過去にはメジロライアンやメイショウドトウのような悲願達成もあれば、スターホースがファン投票にしっかり応えた名シーンも誕生。あるいはオグリキャップのような怪物がコロリと負けるなど様々な歴史を刻んできた。
98年、まばゆいばかりの輝きを放ち、天皇賞・秋で早世するサイレンススズカもそんな1頭だ。この年、中距離路線は「音速の貴公子」の出現に沸いた。なかでも伝説となったのが中京競馬場での金鯱賞だ。ハイペースで飛ばして逃げ、1秒8という大差レコード勝ち。ゴール入線前から大きな拍手が沸き起こり、スタンドがどよめいたことを思い出す。
重賞レベルでこれほどまでの圧勝劇を見たのは、あとにも先にもこの一度きり。あまりの着差に主戦の武豊騎手が「後ろの馬の気配を感じないし、カンパイ(スタートやり直し)かと思った」とおどけたほどだった。
この直後、サイレンススズカは1番人気で宝塚記念に臨み、5連勝でGI馬となる。武豊騎手はエアグルーヴとの先約があり、急造コンビの南井克巳騎手が代役を見事に演じた。しかも、このときは、いつもの大逃げではなく、ため逃げ。この4年前にナリタブライアンで三冠を達成していた南井騎手の矜持を感じるとともに、大人びたサイレンススズカがそこにいた。
しかし、この「希代の快速馬」はデビュー当初、天賦のスピードを制御できないナイーブな一面があったのも事実だ。そのころ、手綱を取っていたのが若き日の上村洋行調教師。今年ファン投票1位のベラジオオペラを送り込む敏腕トレーナーだ。
コンビとしてはプリンシパルSなど6戦3勝。しかし、橋田満調教師が言う「グレイハウンド犬のような身のこなし」を持ちながら弥生賞ではゲートで大暴れ、日本ダービー、神戸新聞杯では能力を発揮できなかった。上村調教師はこう振り返る。
「完璧に乗れたのはプリンシパルぐらい。何とか折り合いをつけようと試行錯誤したけれど、あの馬には結局は逃げが一番合っていた。ユタカさんだから大逃げが打てたと思う」