1992年11月21日、ドラフト会議で松井秀喜の交渉権を獲得し、喜ぶ長嶋監督(左端)=日刊スポーツ

何度も浮上した「巨人監督待望論」

「松井さんが巨人からヤンキースにFA移籍する際、巨人の球団内部でその決断を良く思わなかった人がいたのは事実。松井さんもその空気を察知していたと思います。ただ、長嶋さんは違いました。球界全体を盛り上げるためにも、松井さんが巨人の監督になって常勝軍団を築いてほしいという思いがあったのでは。後輩の阿部慎之助監督が今は指揮をふるっているため、松井さんは波風を立てたくないと思って具体的な内容は明かさなかったのだと思います」(スポーツ紙デスク)

 松井さんの「巨人監督待望論」は過去に何度も浮上したが、実現しなかった。その理由として、松井氏がヤンキースに移籍した際に猛反対した読売新聞グループ本社主筆だった故・渡辺恒雄氏の存在が取り沙汰されてきた。

 だが、民放テレビ関係者は「松井さんとナベツネさんの間にわだかまりはないと聞いています。球団は監督になってほしい思いはありましたが、松井さんは米国を拠点に生活しています。子育ての環境を考えなければいけないですし、日本に戻って監督に就任することは簡単に決断できる問題ではありません。タイミングが合わなかったのでしょう」と話す。

日本代表の指揮を執れなかった長嶋監督

 一方、巨人で番記者を長年務めたライターは「長嶋さんとの約束」について、違う見方を示す。

「長嶋さんは野球界全体の発展を常に考えていました。2004年のアテネ五輪で金メダルを目指す日本代表の監督に就任しましたが、本大会の半年前に脳梗塞で倒れて指揮を執ることができなかった。松井さんは現役時代にWBC、五輪に出場していません。長嶋さんは松井さんが監督として日の丸をつけ、グラウンドに立つ姿を見たかったのでは。監督として世界一に導いて日本に恩返ししてほしいという思いがあったはずです」

 NPBで指導歴がない松井さんが侍ジャパンの監督にいきなり就任するのは、現実的でないと思われるかもしれない。だが、可能性がゼロとは言えない。侍ジャパンの井端弘和監督は巨人や侍ジャパンでコーチなどを務めたが、NPBでの監督歴がない。13年に侍ジャパンの監督に就任した小久保裕紀監督(現ソフトバンク監督)も、就任時はコーチ、監督としての指導歴がまったくなかった。

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