だが、93年7月にたまたま観戦したイースタンの試合に触発され、「もう一度挑戦したい」とプロ入りを目指してトレーニングとバッティングセンター通いを続ける。
そして、翌94年、入団テストを経て、日本ハムにドラフト5位で指名され、“フリーターの星”と話題になった。
入団後は3年間で1軍出場9試合にとどまり、なかなか壁を打ち破れないでいたが、4年目の98年、前年明るみになったプロ野球脱税事件がビッグチャンスをもたらす。宮本慎也が開幕から4週間の出場停止処分を受け、内野の要を欠いたヤクルトから白羽の矢を立てられ、開幕前日に野口寿浩との緊急トレードで移籍が決まったのだ。
同年は44試合と出場機会が一気に増え、翌99年にも86試合に出場。05年には正二塁手として自己最多の130試合に出場し、08年まで選手会長も務めるなど、大出世をはたした。
球界を揺るがした不祥事が回りまわって、一人の選手の野球人生を大きく切り拓く。人間の運命の不思議さを実感させられる。
(文:久保田龍雄)
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