
ミスタージャイアンツ、巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが6月3日、肺炎のため亡くなった。享年89歳。昭和のプロ野球を代表するスターを偲んで、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に“忘れがたきミスター伝説”を振り返ってもらった。(文中敬称略)
* * *
ノーアウトで2人の走者が出塁という絶好のチャンスが、まさかの“ダブル勘違い”から一転併殺となったのが、1959年9月20日の阪神戦(後楽園)。
12対0と大きくリードした巨人は、5回にも先頭の長嶋茂雄が中前安打で出塁。次打者・国松彰はバットを折りながら、センター方向にフラフラと打ち上げた。
「捕られる!」と思った長嶋は、ハーフウェイで急停止し、懸命に一塁へと戻る。ところが、打球は思ったほど伸びず、センター・並木輝男の前にポトリと落ちてしまい、とんだ早とちりに。並木はすかさず二塁に送球し、長島を二封アウトに取ったが、話はこれだけでは終わらなかった。
なんと、打者走者の国松までが、一塁に戻る長嶋を見て、捕球されたとダブル勘違い。いったん一塁ベースを踏んだあと、ベンチへ引き揚げようとするではないか。
川上哲治一塁コーチが慌てて「国松、一塁だ!」と引き留めたが、時すでに遅し。ボールが一塁に転送され、国松もアウトになってしまった……。
2死後、宮本敏雄、土屋正孝が連打したものの、“幻の2走者”が祟って、この回巨人は無死から4連打(国松の記録は中ゴロ)で無得点という珍事に。カンカンに怒った水原茂監督は、長嶋と国松に各2千円の罰金を科した。
自らの勘違いが原因で国松まで巻き添えにしてしまった長嶋は「クニさん、ゴメン。僕がいけなかったんだ。大切な安打1本無駄にしてしまって」と平身低頭だった。
ちなみにこの日、長嶋は親友の石原裕次郎と北原三枝をベンチ横の貴賓席に招待していたが、5打数1安打と精彩を欠き、唯一の安打も走塁ミスで併殺と華々しい活躍を見せられずじまい。「シゲオちゃん、頼むぜ。スカッとしたやつを一発な」と期待した裕次郎も、長嶋が凡退するたびに金網をゆすって悔しがっていた。