舞台に上がる以上は、何があってもお客様に気どられてはいけない。娘の大事故の直後もおくびにも出さずにアンコール公演を務めあげた(写真/武藤奈緒美)

「もう父ちゃん、姉ちゃん、進次もこの赤ん坊を見ることはできんのじゃ」

 嘆くゲンが赤ん坊を抱き、反戦の決意を語るラストでは会場の至る所からすすり泣きが聞かれた。

「もう二度とこんなことは絶対にさせんで! わしがかたきを取ってやるんじゃ! わしの力で戦争なんか無い、ええ世の中にしちゃる! わしはお前を守っちゃるで!」

 水戸は神田の熱演を見ながら、オッペンハイマーに批判的であった物理学者の亡き夫、巌の言葉を思い出していた。

「物理学者は専門学問だけを学んでいれば良いというものではない。自分がなぜ研究をするのか、その最終目的は人間の平和と幸福のためであり、人権と人道については特に考えておかないといけない。そうでないととんでもない怪物を生んでしまう。神田さんのゲンを見て芸人さんもそうなのではないかと思いましたよ」

 香織は演目をただネタとして仕上げ、披露するだけではなかった。終演後、楽屋に迎えに行った主催者の二村は、そこで涙で目を真っ赤にした香織を目撃している。

「あの時は本当にゲンが乗り移っているようでした。私はゲンの漫画を読んでいて、それは紙面なので白黒でしたけど、神田さんの講談はそこにまるで色がついたようでした。戦争を体験した方たちの悔しさ、辛さを背負って37年演じて来られた。その悔しさがこみ上げて舞台の後に涙があふれて来たことが分かりました」

(文中敬称略)(文・木村元彦)

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