撮影:和仁貢介(朝日新聞出版写真映像部)

教育段階から始まっている「能力主義」

勅使川原:能力主義がいかに画一的であるか、そして、それが社会の息苦しさや生きにくさを生んでいるのではないのか、ということは問い続けたいですね。たとえば、学校の成績が良くないと“誰にでもできるような”仕事しか、任せられないよ、って言われてしまう。

鈴木:そうですね。

勅使川原:じゃあ、「誰にでもできる仕事」っていうのは何なのか。

 定形化した反復的な作業という意味で言っているのではないかと思うんですけど、むしろ、そういう仕事が苦手な人たちこそ、学校の成績では評価されにくいわけで、そうした特性をもつ方々に、一体なぜ、それをさせようとしてるの?と。

撮影:和仁貢介(朝日新聞出版写真映像部)

鈴木:僕が取材してきた人たちも、多くは、そうした「誰にでもできると思われている仕事」に就いているのですが、そういう仕事こそ、「学校的基準で評価されない能力」での格差が表れやすいんです。たとえばナイトワーク(夜の仕事)なら、容姿だとかコミュニケーション能力だとか。数値化できない抽象的な能力で評価される。それこそ「誰にでもできる」わけじゃない。

勅使川原:ライフステージでは、労働より前に教育があって、将来の労働観はある程度、教育の場で醸成される。今の日本では「学校での評価」を引きずったまま職業的評価に入っていくので、学歴に職業采配機能があるんです。だからこそ、教育と労働は一気通貫で語る必要があるだろうと思うんですよね。

鈴木:勅使川原さんの立ち位置って「障害学」っぽいんですよね。子どもを、人を「すごい/すごくない」で振り分けるんじゃなくて、それぞれの特性に合った能力の活かし方を考えるべきだっていう視点とか……。

勅使川原:これまでの労働観が「難易度」だけで語られすぎたんです。

 学歴社会で評価される人=「難しい仕事に就ける人だ」と認定される。じゃあその「難しい」って、いったい何なんだろう? 「誰にでもできる仕事」なんてない、っていうのと同じだと思うんです。個人も労働も、垂直方向に序列化されているわけではなく、水平方向に多元的に広がっているんじゃないですか?と。

 今の社会で「優れている」と評価される能力とは。「働く」ということとは? 白熱する対談の続きは、後編の記事「『少数精鋭しか生き残れない』能力主義に未来はあるのか?鈴木大介さん+勅使川原真衣さんスペシャル対談」でお届けする。

(構成/浅野裕見子)
 

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