
リリーフで19勝を挙げた「8時半の男」
過去の球史を紐解くと、リリーバーが最多勝に輝いた例はある。元ヤクルトの伊東昭光(現ヤクルト編成部長)は1988年に守護神を務め、登板55試合すべて救援で18勝9敗17セーブ、防御率3.15をマーク。122回2/3と規定投球回に届かずに最多勝を獲得したのはセ・リーグ初だった。
さらに時代をさかのぼれば、すごい例がある。「8時半の男」の異名で知られた元巨人の宮田征典は、1965年に69試合登板で20勝5敗、防御率2.07を記録した。20勝の内訳を見ると、救援登板で19勝、先発登板でも1勝を挙げている。現役晩年の金田正一に通算400勝がかかっていたため、金田の後を受けてロングリリーフすることが多く、164回2/3を投げている。最多勝は25勝を挙げた村山実(阪神)だった。
最多勝争いをしたケースでは、元ダイエーの篠原貴行(現DeNAスカウト)がいる。入団2年目の1999年に救援登板のみで開幕から無傷の14連勝と「不敗神話」が話題になった。その年、西武にドラフト1位で入団した高卒ルーキーの松坂大輔と最多勝争いを繰り広げたが、9月30日の近鉄戦で、この日が引退試合だった山本和範に決勝アーチを打たれて敗戦投手となり、勝率10割を逃した。だが、60試合登板で14勝1敗、防御率1.25と圧巻の成績で最高勝率(.933)のタイトルを獲得。ダイエー初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。最多勝は16勝をあげた松坂だった。
巨人で印象的なリリーバーが、育成入団からはい上がり9年連続60試合以上登板と鉄腕ぶりを発揮した山口鉄也(現巨人2軍投手チーフコーチ)だ。入団2年目の2008年にセットアッパーに定着し、救援のみの67試合登板で11勝2敗2セーブ23ホールド、防御率2.32をマーク。13ゲーム差を逆転してリーグ優勝したチームに大きく貢献した。育成出身で初の新人王も受賞している。
山口は7月終了時点で5勝だったが、8月以降に6勝を積み重ねた。当時の巨人を取材していたスポーツ紙記者は「夏場以降は山口が投げてピンチを抑えると、球場の雰囲気が変わり、打線が爆発する試合が続きました。今の大勢も似た雰囲気を感じます。最多勝はわかりませんが、2ケタ勝利をクリアする可能性は十分にあると思います」と期待を込める。
大勢、R.マルティネスの「勝利の方程式」は巨人の生命線だ。大勢がリーグ連覇に向けて右腕を振り続けた時に、思わぬ形で投手タイトルがついてくるかもしれない。
(今川秀悟)
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