「後々」や「将来」なんて来るようで来ない

 こうやってお便りをしたためてくださるくらい、その言葉がひっかかるのであれば、もしかしたら自分の中に、世間一般の価値観とズレた楽しみを続けていくことへの小さな不安があるのかもしれません。周囲の意見を聞き入れていないだけに、誰のせいにもできない自分の選択が間違っていた時のことを考えているのかもしれません。

 私もかつて、毎日楽しいと思いながらも、楽しいだけで一般的に実りのある人生じゃないけどいいのかしらという疑問が頭をよぎることがありました。もっと意味のあることをしなきゃいけないんじゃないかとか、あとで後悔した時に、周囲に「だから後悔するって言ったじゃん」「いつか不幸になると思ってた」なんて言われたくないとか。

 でも、二十七歳よりはかなり年を経た四十一歳になって思うのは、「そんな生活じゃ後々後悔する」「将来苦労する」の、「後々」や「将来」なんて来るようで来ないものだということです。日々楽しい、その延長線上に未来の自分はいるのであって、どこかの時点までが現在、どこかの時点からが「後々」「将来」というわけではありません。だから周囲に冷ややかな目で見られようが、「生きてて楽しい」ことを超える選択なんて現時点ではないと思っていいのではないでしょうか。

[AERA最新号はこちら]