求められている「面白さ」引き出す

 一方、取材対象者の発言そのものをネタにするバラエティー番組の街頭インタビューの場合、そもそも面白いことを言ってくれる人がめったに見つからない、という大問題がある。一般人はテレビに出るプロフェッショナルではないので、カメラを向けられて面白いことを言える可能性はきわめて低い。

「別にそんなことはないだろう。一般人でも面白い話ができる人はいるよ」と思われるかもしれない。でも、そうではない。この場合の「面白さ」というのは、その番組で求められているものであるからだ。一般人同士の日常会話レベルで面白い話ができる人はいるかもしれないが、そういう人が街頭インタビューで、結果を出せるとは限らない。

 街を歩いていて、突然マイクを向けられた一般人が、取材の意図をすぐさま理解して、短い尺で的確に面白いコメントをしてくれる、などということはほとんどない。

 だから、この手のインタビューが売りの番組では、大量のスタッフを動員して取材に手間をかけるということが行われる。人海戦術でひたすら奇跡的な出会いを探すのだ。

あとは演出でなんとかするしかない

 もちろん、それだけでは十分ではない。理想とするような面白いコメントが得られなければ、限られた素材の中から、編集で加工をすれば合格点に達しそうなものを選び出し、映像の切り貼り、ナレーション、テロップ、音楽やSEなどを駆使して、面白いものに仕上げていくしかない。ここがディレクターの腕の見せどころだ。

 プロのテレビタレントであれば、スタッフに求められていることを察知して、カメラの前で的確な動きができる。しかし、一般人にはそれは期待できないので、演出で何とかするしかない。この演出が行き過ぎるとヤラセになってしまう。

 もちろん、ヤラセは許されないことだが、テレビの世界では「0から1を作るのはNGでも、1から10を作るのはそこまで悪いことではない」というような不文律がある。作り手が見せたいものを見せるために、取材対象となった人が思いもよらないようなやり方で面白いVTRを作るということは日常的に行われている。

 今回の『月曜から夜ふかし』の件は、もちろん明確なヤラセであり、許されることではない。ただ、こういうことが起こると、許されない演出の範囲がますます大きくなり、街頭インタビューで面白いものを作ることはさらに難しくなるだろう。

 街頭インタビュー以外にも一般人を取材するタイプの番組はたくさんある。そういうものを作るときには、タレントを起用する番組以上に繊細さが求められるわけだが、そのハードルはますます上がることになった。

 『月曜から夜ふかし』は、一般人を面白く見せる演出においてテレビ界のトップランナーだった。そこでこういう不祥事が起こってしまった。このダメージはじわじわと効いてくるだろう。テレビが一般人を扱うのはますます難しくなってしまった。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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