銀座もとじの原点である大島紬を、多くの人に知ってもらいたいと、店内に織機を置く。織っているそばから注文が入ることもあれば、海外から見学に来る人もいる。写真左は父の弘明(撮影/工藤隆太郎)

 着物嫌いは変わらなかったが、進学を考えるタイミングで、ファッションの道へ進みたいと考えた。時は裏原文化全盛期。ストリート系ファッションや英国のファッション文化が好きだった。海外で勝負してみたい。父にこう告げた。

「将来は呉服屋をやりたい。海外の目線を持ちたいから、ロンドンに行きたい」

山崎広樹(右)の工房で、土に柿渋や鉄媒染などを重ねて染めた布の色を確認。「どう作品を作るかなど、相談しながら作っています。興味深い話を持ってきてくれるので、仕事をしていて楽しいです」(山崎)(撮影/工藤隆太郎)

「紬」すら分からず入社 藍田正雄の言葉に感銘

 もちろん店を継ぐことなぞ微塵も思っていなかった。父からは反対されなかった。

「私が東京に出てきた当時は鹿児島から東京まで28時間かかっていましたが、ロンドンまで12時間ほどで行けるようになっていて、地球は狭くなった。行きたいなら行ってこい。ある程度すれば日本の良さ、故郷の良さも分かるだろうと思ったのです」(弘明)

 2003年、イギリスへ。進学先のロンドン芸術大学では、入学早々、衝撃を受けた。民族衣装を元にデザインを描く授業中のこと。クラスの中でもファッションセンスが良いと感じていた友人たちが着物をもとにデザインを描いていたのだ。それだけでなく、授業が始まった9月は、ファッションウィークの開催時期で、アンダーカバーや、コム デ ギャルソン、イッセイミヤケなど、日本のブランドも数多く参加していた。

「日本のものより海外のものが良いものだと信じていたのですが、ロンドンに行った途端に、日本の独自性やファッション文化の高さを知ったんです。日本は良い国だな、と思いはじめました」

 さらにはロンドン留学中、父が仕事でイタリア・ミラノに訪れる機会があると聞き、泉二も父に会いにミラノへ飛んだときのこと。父は着物姿でミラノの街を堂々と歩いていた。久しぶりの再会で、父が毎日着物を着ているのを忘れていたが、まっさらな気持ちで見た父の姿に、初めて着物がかっこいいと思った。

「決して華美ではないが、かっこよく見えた。それまで着物を着たいなんて一度も思ったことがなかったのに、いつか着てみたいと思ったんです」

(文中敬称略)(文・永野原梨香)

毎朝のコーヒーは欠かせない。通勤時から着物を着用する日が多いが、この日はトレンチコート姿。眼鏡好きで、着物に眼鏡を合わせることも(撮影/工藤隆太郎)

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