迷路のような銀座の路地が好き。どこにたどり着くか分からないところも面白い(撮影/工藤隆太郎)
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 銀座もとじ店主、泉二啓太。東京・銀座に店を構える呉服屋「銀座もとじ」。父が創業したその店を、息子である2代目の泉二啓太が切り盛りする。糸を紡ぐことから、布を染めたり織ったりと、多くの職人の手を介し、着物が出来上がる。それを何より伝えたいと考える。かつては着物が嫌いだった自分が、今はその魅力にはまる。伝える職人になるために、日々研鑽を積む。

【写真】袴地の最高峰の絹織物「仙台平」についてカメラマンと丁寧に確認していく泉二さん

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東京・銀座には川がある。かつて銀座は川に囲まれていたが、その川ではない。商売人が語る「川」だ。いつか、銀座の「昭和通り」といった大きな「川」を越え、中心地に店を構えたい。そんな志が「銀座の川を越える」と表現されるのだ。

 その川を越えた三原通りに呉服屋「銀座もとじ」は店を構える。

 もとじでは数人の客と店員たちが談笑中だった。大きなガラス張りの店は、外から中の様子がよくうかがえる。賑やかさにつられたのだろう。店の軒下で雨宿りをしていた海外からの旅行客とおぼしき夫婦が入ってきた。すぐに店員の一人が英語で話しかけた。

 店舗の中心に置かれた広いテーブルでは、冊子を広げる人、世間話に花を咲かせる人、反物の色や柄を思案する人……。社長の泉二啓太(もとじけいた・40)は、紺に白い幾何学模様の久留米絣姿で、客の要望を聞きながら、店中を動き回っている。

 泉二はとにかくよく話し、よく人の話を聞く。常連客であれば、相手の話から、どんな品を探しているのか思案し、以前に購入したものにも合わせられるような物を紹介する。新規の客であれば、まずは仕事の話を聞くなどして、信頼関係を構築する。着物についての話をするのは、それからだ。

「着物は専門用語が多い。どれだけかみ砕いて話せるかが大切。着物に興味のない多くの人たちにどう説明するか。僕も以前は、興味がありませんでした。その頃のことを思い出しながら、話すようにしています。いきなり難しい言葉が出ると、パンとシャッターを下ろす人が多いですから」

 もとじは、父の弘明(こうめい・75)が開いた店で、泉二は2代目となる。父は鹿児島県奄美大島出身で、マラソン選手に憧れて東京の大学に進学したが、腰を痛めて断念。絶望し、気落ちしている中、奄美を出るときに母が持たせてくれた父の形見の大島紬をふと羽織ってみたところ不思議と力がわいてきて、「スポーツで果たせなかった夢を着物で果たそう」と決めたという。着物のことは何も知らなかったが、ちり紙交換などで資金を貯め、1979年に創業した。

2月中旬、袴地の最高峰の絹織物「仙台平」についての取材を受ける。どう見せたら織物の美しさが伝わるか、カメラマンと丁寧に確認していく(撮影/工藤隆太郎)
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