
遅れた決断、心が折れたことも
進路の決断は遅れた。しかし、小川さんは「大変やけど、がんばろう」と背中を押した。「苦しい受験」が始まった。
得意科目の数学は、東大入試とは傾向の違う京大の数学に壁を感じ、国語も東大と比べて設問での「問われ方」自体に難しさを感じた。模試の結果は、東大理ⅡはA判定かB判定だったのが、京大医学部はC判定止まり。なかなか伸びなかった。
「焦りやもどかしさを感じているようでした。これは大学入学共通テストでちゃんと点を取っておかないと不安だなと。12月と1月は彼にしては相当、共通テスト用の勉強をがんばっていました」
共通テストでは少なくとも880点から900点(1000点満点)は取りたい。そんな思いで臨んだ本番。体調不良も重なり、結果は860点台。本人としては落胆する数字だった。
「もう終わったと。ここで一回、明らかに心が折れたんです。そこから1週間ほどは、勉強することをやめてしまいました」
小川さんが問いかけても目の焦点は合わず、朦朧として生返事をするばかり。部屋から出てこず、このまま引きこもってもおかしくないほどの落ち込みようだったという。
「もう、親子ともに『受験をがんばる』なんていう状況ではまったくなく、人として生き残りをかけた状況でした。妻も気持ちがぼろぼろになるくらい息子が自分を取り戻すことに心を砕いたし、私も東京で仕事をこなしながら、神戸に帰る頻度を増やしました。家族がとにかく前を向いてくれたら。健康で、ヤケにならずにさえいてくれたら。そのために子どもをどこまで信じられるか。子どもが僕たち親をどれだけ信じてくれるか。私としてはそこだけを全力で考える毎日でした」
このとき、「いいからがんばってみなさいよ」などとその背中を安易に押すような発言は絶対にしない、が、小川さん夫妻のコンセンサスだったという。
「お父さんが悪かった」
「これからどんな選択をしても、常に応援する。自分一人に責任があるから、一人で決めなきゃなどと思わないでほしい、ということはよく言ってました。余計なことをお父さんが言ったせいで『医学部は受けられない』と進路選択を遠回りさせたことも悪かった、こんな受験に追い込んだのはお父さんやから。誰かに責任があるとしたら、お父さんが悪かった。そんな会話もよくしていました」
持ち直すきっかけは、2月7日の卒業式。灘高校はこの時期に卒業式を行い、その後、3年生は国立大学などの受験をする。小川さん夫妻も息子の気持ちを気遣う思いがあったそうだ。
「ただそこで久しぶりに友だちと話したりしたことでやっと、本人は気持ちが少しほぐれて。『やるだけやるか』。そんな言葉が出るようになりました」
息子をリスペクト
迎えた京都での試験本番。家族でホテルに泊まり、小川さんは会場まで付き添った。3日におよぶ試験で、息子は本来の力を発揮し、見事合格。小川さんは3月10日にXで「最後までやり切った彼の勝利です/リスペクトしかありません」と綴った。
「本番までに気持ちを切り替え、再び受験生として向き合い直した後は、残り時間でできることをやって、本番は平常心で乗り切った。その腹の据わり具合。なかなかできることじゃない」
親としてそう育ててきたとは、おこがましくて言えない。いわゆる「躾」のようなことにもあまり熱心ではなかった。「目標を持て」などと言い聞かせてきたこともない。小川さんは振り返る。
「ただ、心がけてきたのは、本人が自分を信じることができる、その手伝いができればということ。『こういうことが得意なのは才能だよな』とか、『他の子とはまたタイプが違うんだよ。自分の力を発揮すれば十分だし、十分すごいやん』とか。そんなことをよく言ってきました」
合格の結果を見たときは親子で大喜び、抱きしめ合った。しかしすぐ後に小川さんの心に浮かんだのは「僕ががんばらなあかんな」という言葉だった。
「私たち大人も仕事をしていると、思い通りにいかないこともある。そんな『思い通りにいかないこと』に対し、最後の最後までしっかりと自分の力でやりきった、そんな存在がいちばん近くにいた。すごい人の親をやってるな。恥ずかしいことはできないな。それが今回、私がいちばん強く感じたことです」
(構成 AERA編集部・小長光哲郎)