
転機は高3の10月
「小さい頃から生き物に触ったり血を見たりすることが怖い人なので、医学部の選択肢はわが家にはなかったんです。物理やコンピューターサイエンスにはあまり関心がなく東大の理Ⅰは違う。化学と生物が得意科目で、競馬とのつながりで獣医師にも興味があったので理Ⅱかなと。その選択肢で高3まで来ました」
転機は高3の10月、息子からの相談だった。「やっぱ医学部にしたい。京大を受けようと思うけど、どう思う?」というものだった。
「高3になってから、医学部で研究の道へ進むのがいいかなと考え始めたと。高2で生物学オリンピックの日本代表候補になり、合宿でカエルの解剖なども体験し、生き物に触るのも『研究や実験なら意外にできるな』と気づいたことも大きかったようです」
高3秋の段階で、東大理Ⅱよりさらに難しい挑戦へ。このことで小川さんは後々、大いに反省することになる。
親が「医学部受験を嫌っている」という思い込み
「彼は親の私が医学部受験を嫌っている、と思い込んでいたようなんです」
ある日の、何気ない食事中の家族の会話。「灘の成績上位層なら、当然東大理Ⅲ」といった考え方はあまりに視野が狭いし、そういった刷り込みが日本の受験構造をも歪ませている。そう話す小川さんに、息子は「うちは医学部受験は許してもらえないんだ」と思ってしまったのだという。
「だから東大理Ⅱでいいかなと。私の言葉が、彼の進路判断の中でブレーキになり、道を無意識に狭めてしまっていたんです」