さも、人生はエンドレスであるかのように。その頃、人が自分のライフプランを考える時、「死」というライフイベントを含めるという発想はなかったのだ。

 生命保険の主力商品である死亡保障は、死亡や高度障害になった時に遺族へ保険金が支払われる仕組みなのに、ライフプラン表に「死」を入れていないとはなぜだろう、と不思議だった。しかも、生命保険会社では、死亡することを「万が一」と表現する。死亡率は100%で、万が一で死ぬ人はいないのに……、と、これも謎だった。

 2つ目は、学生時代、大阪の簡易宿泊所街で、ホームレスの方たちにインタビューしたことがあったのだが、何人かが、「自分が死ぬ前に、故郷にある親の墓参りに行きたい」「母ちゃんの死に目に会えなかったことが心残り」などと話してくれたことが、私の印象に強く残っていたからだ。

「死ぬ前に、故郷の親やきょうだいに会いたい」なら理解できるが、なぜ親の「死に目」や死んでしまった親の「墓参り」なのだろう、と、その頃の私には腑に落ちない話だった。

「親の死に目に会えず、すでに亡くなっている親の墓参りもしないままでは、自分は死にきれない」とは、どういう意味なのか。故郷へ帰れない事情がある人たちにとって、お墓はどういう場所なのだろうか。

 そこで「一度だけ、お墓の意識調査をさせてほしい」と上司に何度も掛け合い、根負けした上司たちに、ようやく許可してもらえたのだった。

 また同じ頃、内閣府の「東南アジア青年の船」に日本代表青年として参加したとき、各国でホームステイをしているなかで、宗教や文化による「死」の感覚の違いを体感したこともあった。タイのバンコクでは、ホームステイ先の家族とテレビを見ていた時、交通事故で亡くなった方の遺体がニュースで流れた。そのこと自体にもびっくりしたが、ホストファミリーはそれを平気な顔で見ていたことにも驚いた。

 そしてなによりも、私が幼稚園児の頃、医師だった祖父が、末期のがんで余命いくばくかの親戚のベッドサイドに私を連れていき、「こうやって人間は死んでいくんだよ、よく見ておきなさい」と言ったことは、50年経った今でも、強烈な思い出となっている。意識のない親戚が管につながれ、酸素吸入をしていたのか、シューシューという音だけが静かな病室に響いていたことを覚えている。

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