
3月28日に開幕したプロ野球。今季も巨人・キャベッジ、広島・モンテロら各球団の新助っ人がどれだけ働けるか注目を集めている。過去にも多くの助っ人たちが来日しているが、開幕直後は不振だったのに、徐々に成績を上げ、最終的に“ダメ助っ人”から“優良助っ人”に変身した選手も少なくない。
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“阪神史上最強の助っ人”として2023年に野球殿堂入りをはたしたランディ・バースもその一人だ。
1983年に阪神入りしたバースは、オープン戦で死球を受け、左尺骨を亀裂骨折した影響で、1軍デビューは4月16日の巨人戦まで遅れた。この試合で8回に一塁手として途中出場したバースは、プロ初登板の19歳・槙原寛己の前に三振に倒れた。
その後も代打を中心に起用されたが、7番ライトで先発出場した5月3日の巨人戦でも4打数無安打3三振に終わり、助っ人では球団ワーストのデビューから15打席連続無安打。3対9と大敗した戦犯に挙げられ、トラ番記者から「プロレスラーに転向したほうがいい」の声も出た。
だが、翌4日の巨人戦、バースは江川卓から16打席目で待望の来日初安打を記録。5月7日のヤクルト戦では来日初本塁打も飛び出し、同11日の中日戦でも2本塁打を含む4打数3安打3打点と、徐々に調子を上げていった。
ところが、そんな矢先、投手の駒不足解消のため、ハワイ出身右腕・オルセンを緊急補強し、外国人登録枠(当時は3人)を超えたことから、バース、アレン、ストローターの野手3人のうち、1人を解雇せざるを得なくなった。
一転退団危機を迎えたバースだったが、ストローターが6月に自打球を左足に当てて骨折した結果、間一髪クビを免れる。
その後のバースは、8月に10本塁打を固め打ちするなど、チーム最多の35本塁打を記録し、“不動の3番”に定着。85年には打率.350、54本塁打、134打点で阪神の21年ぶりVと日本一に貢献し、翌86年にもNPB史上最高の打率.389をマークして、助っ人史上初の2年連続三冠王に輝いたのは、ご存じのとおりだ。
もし、ストローターの負傷離脱がなければ、後の“伝説の助っ人”は、1年目のシーズン途中で寂しく帰国の途についていたかもしれず、人間の運命の不思議さを痛感させられる。