TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は先日76歳で亡くなったいしだあゆみさんについて。

いしだあゆみさん
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 先日76歳でこの世を去ったいしだあゆみのミリオンセラー、「ブルー・ライト・ヨコハマ」のリリースは1968年12月25日、激動の時代のクリスマスだった。橋本淳は横浜港から遠く眺めた京浜工業地帯に灯った青い光明を、フランス・カンヌの夜景になぞらえて作詞した。

 この曲とその時代のエピソードについて小林麻美と話したことがある。彼女の評伝『小林麻美 I will』(文藝春秋)の取材でのことだった。

 高校生の彼女は御茶ノ水の文化学院に通っていた。文化学院といえば、良家の出身だが、何かをやらかしてしまった子女が多く通う学校で、麻美も例に違わず、三田の普連土学園でいろいろ揉め、そこに転入したのだった。

 文化に入るなり、規則ずくめで窮屈だった学校から、紫のエナメルのマイクロミニに白いブーツ、茶髪に眉剃り付けまつ毛といういで立ちでジミヘンの「パープル・ヘイズ」を聴く日々がはじまった。オープンしたばかりのディスコティック赤坂ムゲンに入り浸り、飯倉のキャンティを覗きながら目を付けたのは青山通りの「イヴ・サンローラン リブ・ゴーシュ」。そのブティックは神宮外苑、銀杏の並木道が国道246に突き当たる場所にあった。

「サンローランが世に送り出す服のすべてが素敵だった」とはマガジンハウス「an an」編集者だった淀川美代子である。「サンローランを着ていたのはいしだあゆみさんや加賀まりこさん、それにズズこと安井かずみさん。私はただ眺めるだけ。背伸びしても買えないスペシャルなブランド。尖ってなくてカッコよかった」

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「ブルー・ライト・ヨコハマ」