
「URANUS2324」のロケは気温40度を超すタイのジャングルで長時間に及んだ。武井は汗だくになりながら休憩中も軍人の冬服を着込んだまま過ごした。同行したEMUの本村洋介は「兵士のリアル感を意識したんでしょう。日本のカップラーメンとかを持ち込んだんですが、一切口をつけず、お茶碗1杯のタイ米に、ふりかけだけで1日の収録を乗り切る。プロ意識を感じました」。
熱演が評価され、同じプロデューサーが手がけるタイのテレビドラマへの出演も決まった。
武井が演技にこだわるのはなぜなのか。その理由を知るには、彼の生い立ちからの家族の物語に踏み込んでいく必要がある。
1973年、東京都葛飾区に生まれた。
小学生のころ、両親が離婚した。マンションの一部屋に残された2歳上の兄との生活が始まった。毎日、献立を考えるのも大変だし、経済的にも安上がりでたどりついたのが、母の得意料理だった「そぼろご飯」。1キロとかのひき肉を買い、しょうゆとみりんと砂糖で味付けして、毎日、少しずつ温めて食べた。毎月、電気、ガス、水道のライフラインの料金が払えず、止められた。
そんな窮状をおそらく知っていたのだろう。近所の豪邸に住む人が提案してくれた。
「うちのごみ出しを手伝ってくれたら、毎月500円あげる」
それを一軒ずつ増やして、早起きして家の前に出されたごみを集積所まで持って行った。多いときは150軒。月々7万5千円の収入になった。

「人の嫌がることは仕事になり、お金になることを学びました」
地元葛飾区にある修徳学園は、学業成績が優秀なら高額な学費は免除され、さらに毎月1万2千円の奨学金が出た。
中学では野球部に入り、夜まで練習漬けの日々になった。効率的に勉強するために、授業中に、その日教わったことは覚えた。中高6年間、成績トップは譲らなかった。奨学金は生活費の足しにした。修徳高校でも野球部で活躍してプロ野球選手をめざそうと思ったが、寮生活は決まり事が多く、練習も夜まで続く。奨学生で居続けるための成績維持を優先するため、部活はあきらめた。
独自の身体理論を確立 十種競技で日本選手権優勝
東京を離れ、神戸学院大に進学した。陸上部から声がかかり、軽い気持ちで入部した。1年の夏、100メートルのデビュー戦で10秒9をマークした。夏の沖縄合宿でステーキ16枚を平らげた。合宿で食べ放題を満喫していたら、夏の終わりには入学時より身長が5センチほど伸びて、170センチ台になっていた。少年時代、胃袋が満たされていなかった肉体に栄養が行き渡った。
3年になり、十種競技を選んだのには理由があった。自分の体を思うように動かせるようになれば、パフォーマンスの向上に直結する。そんな独自の身体理論を確立していた。十種競技は100メートル、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400メートル、110メートル障害、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500メートルを一人でこなす万能性が求められる。