
勉強から開放され「遊んだ」東大時代
だが、ここで八田さんは一度、燃え尽きてしまう。「東大に行きなさい」と言われ続けて育ち、桜蔭を自主退学し、別の高校に進学し、浪人してまでつかんだ東大合格。完全に、八田さんのゴールは「東大に入学すること」になっていた。
「『これでお母さんに何にも言われないで済む!』と思って、大学時代はすごい遊んでいました。ようやく自由にできるんだ、と思ってしまって……。大学に入ったら『勉強しなさい』ともあまり言われなくなったんです」
そんななか、1年生の学園祭で「ミス&ミスター東大コンテスト2004」に出場し、ミス東大に選ばれたことで、いくつかの芸能事務所から声がかかった。ただ最初は、芸能界という世界にあまり興味はなかった。
「そもそもテレビをあまり見させてもらえなかったので、芸能界といっても『なんとなく華やかな世界で楽しそう』ぐらいのイメージしかありませんでした。私の場合は『グラビアで水着になりたい』と思っていたわけでもなかったですし……。2年生の途中で知り合いにセント・フォースを紹介してもらい、アナウンサー志望の方がたくさん所属しているすごいところだと聞いていたんですが、社長にお会いしたらすごく優しく話してくださって。これなら私にもできそうだなと思って、所属して活動してみることにしました」
親にも話したが、そのときはそれを職業にするとは誰も思っていなかったのか、特に反対はされなかった。東大出身の祖父にも「いいんじゃない」と言われ、八田さんの芸能活動が始まった。
(藤井みさ)
※【後編】<桜蔭⇒筑附⇒東大生タレント「八田亜矢子」がブレーク中に感じていたこと 「東大にこんなに価値を見いだしてくれるのか」>に続く。

