八田亜矢子さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)

「桜蔭以外の選択肢もあったんじゃないか?」

 友達は毎日遊んでいるなかで、受験のための勉強をしなければいけないのは、苦ではなかったのだろうか。

「子どもを育てるようになって気づいたのですが、子どもって本当に嫌いなものに対しては泣いて嫌がりますよね。小学生時代の私もダラダラしたいし、面倒くさいなと思うことはありましたが、そこまで嫌がっていなかったということは、完全に勉強嫌いではなかったんじゃないかなと思います」

 小学6年になって塾に入るようになってからは「すごく楽しかったですね」と振り返る。

「友達もいるし、同じ中学校を受ける人もいたし。みんなで一斉に問題を解いて切磋琢磨(せっさたくま)するという状況が新鮮ですごく楽しかったです」

 八田さんは、女子の中高一貫校で最も偏差値が高い桜蔭中学への入学を目指していた。といっても、志望校は母に決められたもの。

「当時の中学受験って、子どもの意思はあまり尊重されなかったように思います。『桜蔭じゃなければもう(私立に)行かなくていい』と言われたので、そういうものかと思っていました。本当は制服がかわいい、キラキラしたイメージの学校もいいなと思って、模試の志望校に書いてみたりもしていましたけど、それぐらいでしたね」

 八田さんは見事、桜蔭中学に合格。しかし、入学してみると想像していた以上に厳しい校則が待っていた。

 制服のスカートはひざ下5センチ、セーターのワンポイントは禁止、コートもダッフルコートは禁止、コートのボタンも金は禁止……などの厳しい校則に、思春期だった八田さんはもやもやを覚えるようになっていく。

「校則が厳しいとは聞いていたんですが、ここまでなのか、と。当時姉が国立の高校に行っていて、自由な校風で過ごしていたのも見ていたので、『桜蔭以外の選択肢もあったんじゃないか?』という気持ちが芽生えてきたんです」

 とはいえ、桜蔭中学で出会った仲間はみんな楽しく、気が合い、人間関係は最高に良かった。

「当時の友達とは今でもつながりがあるんです。やっぱり女子校の仲間って特別ですよね。その点では、女子校に行ってよかったなって思います。もし今もう一回小学生に戻って『桜蔭を受けないか』って言われたら、受けるかもしれないです。やっぱりあの友達とまた出会いたいし、あの学生生活も味わいたいから、同じことを繰り返しちゃうかもしれない。それぐらいには、学校生活は楽しかったんです」

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猛勉強した浪人時代